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「タイムトラベル蔵の街」写真撮影スポット【大正時代】
「蔵の街とちぎ」の大正時代の建物や風景の写真撮影スポット(8件)を紹介します。
1.パーラートチギ googleマップ<外部リンク>
江戸後期より煙草の卸売商を営んでいた関根家の邸宅であり、洋館の奥には通り庭形式の住居が続き、その奥に土蔵がある。
店舗であった洋館は、大正11年(1922)建築の鉄筋コンクリート造2階建で小屋組は木造で、切妻桟瓦葺の屋根が架けられている。外壁はタイル貼で、軒や屋上の手摺壁には大正期独特のゼツェッシオン風(※)の装飾が施されている。
(※19~20世紀初頭にかけてドイツ、オーストリアに起こった芸術運動。幾何学平面性が強調され、建物をはじめ室内や家具も直線主体が特徴)
パーラートチギ前
店先での待ち合わせ
入口でハイポーズ
壁際の淑女
2.好古壱番館 googleマップ<外部リンク>
呉服商の店舗だった大正12年(1923)建築の建物であり、木造2階建で屋根裏部屋(3階)を設け、屋根は銅板葺、外壁はセメント洗い出し仕上げで柱型やアーチ部分を石貼りとしている。1階正面をポーチ状に張り出し扁平アーチを架け、2階中央の窓にはペディメント(※)を乗せ、その上には屋根窓を設けるなど、本格的な大正期の洋風意匠が目立っている。
(※西洋の古典建築で、切妻屋根の妻壁にできる三角形の部分、あるいは窓や出入口上部に取り付けられた三角形上の装飾)
好古壱番館前
好古壱番館前でハイポーズ1
好古壱番館前でハイポーズ2
3.旧栃木市役所別館(栃木市立文学館) googleマップ<外部リンク>
大正10年(1921)に、栃木県庁跡地の一画に栃木町役場庁舎として建築され、屋根には時計台があり、建物・堀・橋が一体となって調和し、現在は県庁堀の景観になくてはならないシンボルとして親しまれている。
木造2階建、外壁は1階が板張りペンキ塗り、2階は白壁に木造の骨組を表し、栃木市の近代歴史を語るうえで欠くことのできない貴重な洋館である。市指定文化財(建造物)となっている。
旧市役所別館が背景
旧市役所別館玄関前でハイポーズ1
旧市役所別館玄関前でハイポーズ2
4.栃木高校(記念図書館) googleマップ<外部リンク>
栃木県庁跡地に栃木県尋常中学校(現:宇都宮高校)の栃木分校として明治中期に建設され、戦後に県立栃木高等学校となった。校内には、国の登録有形文化財の木造洋風建築である旧本館、記念図書館等がある。
旧本館は、明治中期に建築され木造2階建の比較的質素な建物で、現在は記念館として校内の県庁堀の北側に移築保存されている。
記念図書館は、大正3年(1914)に建築され、正面にアーチを用いた大きな玄関部分が張り出している。
栃木高校校門横(記念図書館が背景)
記念図書館を背景にハイポーズ1
記念図書館を背景にハイポーズ2
ここは男子校
5.栃木病院 googleマップ<外部リンク>
木造2階建で、外壁は木造の骨組みを現すハーフティンバー(木骨形式)で装飾的な骨組みの曲線を強調している。1階は板張りペンキ塗、2階は漆喰塗である。正面中央は吹き放ちのベランダとし、左右非対象の屋根となっており、変化に富んだ軽快な外観となっている。
栃木病院前
栃木病院全景が背景
栃木病院前でハイポーズ
栃木病院の片隅で
6.天海邸 googleマップ<外部リンク>
天海家は、明治中期頃まで麻苧(あさお)商を営んでいたが、その後材木商となり近年まで続いた。
通りに面して木造店舗が建ち、その奥に住居、さらに土蔵が続く。
店舗は、木造2階建、桟瓦葺の切妻・平入りで、梁間2間・桁行3間半の前面に奥行き半間の下屋庇を設けている。北側の外壁のみは石積で、上部を屋根上まで立ち上げ、うだつ風の小屋根を架けている。正面外観は、1階を北側半間の戸袋を残してガラス戸の全面開放とし、2階も両端の半間の戸袋を残して手摺付きの窓としている。
天海邸前
天海邸が背景
天海邸前でハイポーズ1
天海邸前でハイポーズ2
7.岡田家翁島別邸 googleマップ<外部リンク>
岡田家の当主(嘉右衛門)の隠居所であったことから、いつしか翁島の名で呼ばれるようになったと言われている。巴波川沿いの荷揚場跡の広大な敷地に国の登録有形文化財の主屋(住居)と土蔵がある。
主屋は、大正13年(1924)建築の木造2階建で、桟瓦葺の入母屋造である。傘天井の浴室、違い棚には紫檀が使われているなど、隅々に最高の技術が駆使され、特に10mの欅(けやき)一枚廊下は素晴らしく、当時の岡田家の隆盛を感じさせる。
岡田家翁島別邸入口
別邸入口でハイポーズ