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コレクション 石塚倉子『室八嶋』
石塚倉子『室八嶋』
石塚倉子(いしづかくらこ、貞享3年〔1686〕~宝暦8年〔1758〕)は、下野国都賀郡富吉村(現在の栃木市藤岡町)の裕福な農家の娘として生まれました。宝暦3年(1753)に同郡山田村(現在の栃木市大平町西山田)の清水寺に和歌5首を献納し、宝暦6年(1756)歌集『室八嶋』を出版しました。
『室八嶋』は、伝統的な和歌集の編成である「春・夏・秋・冬・恋・雑」を踏襲しつつ、下野・上野を旅した「日光紀行」、「妙義紀行」、「館府八景」の紀行文を付け、「機樹百詠」と「釈神祇」、「賀」を加えた10巻5冊の構成になっています。序文は国学者の荷田在満(かだのありまろ)、儒学者の服部南郭(はっとりなんかく)が記しています。
倉子は、恋歌よりも季節の歌を得意とし、「春秋亭」(しゅんじゅうてい)と号しました。当時隆盛期にあった村田春海(むらたしゅんかい)・加藤千蔭(かとうちかげ)ら江戸派の影響で『古今和歌集』(こきんわかしゅう)を重んじていたと考えられています。
年代的に直接交流がなかった、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)による「近代七才女詩歌」(きんだいしちさいじょしいか)に≪下野室八嶋倉子女≫(しもつけむろのやしまくらこじょ、長大判錦絵、享和〔1801~1804〕頃)として取り上げられており、知名度が高かったと考えられます。
*2階常設展示室で展示しています。(予告なく入替を行う可能性があります。)





