令和元年度「とちぎ夢ファーレ」事業報告(谷中村の遺跡を守る会)
令和元年度「谷中村の遺跡を守る会」実績報告
事業名:谷中村事件の世界への発信の準備
団体情報
団体名:谷中村の遺跡を守る会
代表者名:高際 澄雄
会員数:150人
メールアドレス:takagiwasumu@cc9.ne.jp
HPのURL:http://www.cc9.ne.jp/~kane-gon/report.html<外部リンク>
この活動を始めた動機(目的)
かつて谷中村の遺跡は破壊されそうになっていました。そこで、谷中村の遺跡を守るために1972年(昭和47年)9月に本会が設立されました。
当初は谷中村の遺跡保存のための草刈り、看板立てを主として行っていましたが、徐々に谷中村の人々の思い、および田中正造翁の思想や活動を多くの人に知らせることも行っています。
実際に令和元(平成31)年度に行った活動とその成果(結果)
谷中村の遺跡を守る会は、昨年度のとちぎ夢ファーレ事業として、つぎの2事業を実施しました。
まず毎年やっている延命院墓地跡の共同墓地と雷電神社の草刈りを6月23日と7月27日に行いました。
さらに、昨年の佐呂間の栃木団移住地を訪ねる旅を受けて、栃木団の人々の栃木県南の住居跡を訪ねるバスツアーを実施しました。
阿部農場を開いた阿部さんの居た藤岡町三鴨、茂呂副団長の旧宅の移築された古河市、洪水の被害を受けた小山市下生井、瀬下団長の旧宅のある部屋の石川、田中正造翁の説得を受けて誰も佐呂間に行かなかった西前原、そして千葉イシさんの居た小山市寒川を回り、洪水被害が大きく、新しい天地で生活を再出発したいと考えたことがよく分かりました。ただし、佐呂間の気候の厳しさを十分に教えられていなかった悲劇になってしまったことも十分理解できました。
谷中村の縁故者からお話を聞く会を2月に予定していましたが、コロナの関係で中止せざるを得ませんでした。
苦労した点や良かった点(全体的)
すでに書いた通り、なぜ佐呂間という遠隔の地に移住しようとしたのか、そしてその思いがいかに実現しなかったのか、具体的に分かるようになったことが、昨年度の最大の成果でした。
これからの展望
今後は、田中正造翁が言っていた谷中村の豊かさが、本当だったのか、を調べたいと思っています。
この団体や事業に関する質疑応答コーナー
この活動に寄せられたご意見・ご質問に対する回答は以下のとおりです。
【意見・感想】・谷中村のことはたくさんの教訓と共に、後世に残していくものと思います。検証を始め、これからの活躍にも期待いたします。
【回答】・これまでの谷中村のイメージを検証するために、移住者子孫の現状を調べたり、当時の谷中村の状況を確認する作業を始めています。
【質問】・1972年からの活動の中で、現在も継続して活動が続いているコツなどありましたら、お聞かせください。
【回答】・谷中村の子孫が積極的に参加されていることが大きいと思います。また世代交代が上手く行われたこともあると思います。
【質問】・各イベントへの新規参加者の率はどの位で、増加していますか?通信運搬費が予算より大幅に支出増加した理由は何ですか?
【回答】・新規参加者は2割ほどで多くはありませんが、私たちに力を与えてくれています。通信量の増加は、機関紙を多くの人に届け、私たちの活動を知ってもらおうとする努力の結果だと考えています。