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令和元年度「とちぎ夢ファーレ」事業報告(田中一村記念会)

印刷 大きく印刷 更新日:2020年11月13日更新
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令和元年度「田中一村記念会」実績報告

 事業名:田中一村の父「彌吉」を中心とした、栃木における田中家の実働を調査し、これを冊子として残す

団体情報

 団体名:田中一村記念会

 代表者名:大木 洋三

 会員数:80人

 メールアドレス:ss-ohbu@cc9.ne.jp

田中一村1
(『田中一村画伯の出生地を探る』~父・彌吉(稲村)の調査から~ より)

この活動を始めた動機(目的)

栃木市生まれの偉大な孤高の日本画家、田中一村翁の調査、研究、顕彰を主な目的として、約3年前に会を結成、設立した。

又、田中一村翁の墓所は栃木市内の満福寺にあり、命日の9月11日には墓前法要を行っている。

実際に令和元(平成31)年度に行った活動とその成果(結果)

田中一村翁は栃木市で生まれ、5歳6か月まではこの栃木市で父・彌吉、母・セイのもと過ごしている。その後、東京都に約20年、千葉市に約25年居住し、52歳で奄美大島に渡り、69歳で没している。

田中一村が栃木市の何処で生まれたのか、これまで、具体的にその生誕地は特定はされていなかった。

今回、当会ではこの生誕地を特定する事を目的に調査研究し、生誕地は現在の『栃木市泉町八番』と特定した。
この事を冊子にまとめ、タイトル『田中一村画伯の出生地を探る』~父・彌吉(稲村)の調査から~と題して発刊した。

 表紙 内容1
 (冊子の一部より抜粋)

冊子は、市・夢ファーレから資金援助を頂いて400冊を製作し、関係者、関係団体市役所、小中学校、各美術館等に配布させて頂いた。
更には国立国会図書館にも送付させて頂いた。

苦労した点や良かった点

当会の会長である、大木洋三氏が中心になって調査、研究が行った。生誕地の特定は、多くの資料等の中から特定したが、本年は生誕112年にあたり、かなりの期間が経過しており、地名、町名、町の姿が変遷しており、調査は難航した。

最終的に生誕地は、現在の『栃木市泉町八番』と特定した。これまで曖昧であった生誕地の特定は意義のある事と考えている。

これからは、生誕地に生誕記念碑等の設置が出来れば、市の観光振興にも役立つものと期待される。

 これからの展望

田中一村翁は栃木市から東京に転居されて、東京に約20年間、その後千葉市に25年間居住されている。52歳で奄美大島に渡って、奄美大島で南国特有の素晴らしい多くの作品を残されている。 

当会としては、現在、田中一村の東京時代の調査研究を行っており、第2弾冊子、タイトル~ふるさと栃木から上京した『田中一村の東京での小・中学校時代』「米邨」として自ら学んだ若き日の南画~を作成中です。

更に、当会の目標は、栃木市で現在建設中の本格的な美術館の完成後(令和4年)に、田中一村単独の企画展開催を要望している。

既に、大川市長、青木教育長に要請書を提出している。
これには関係美術館さんのご協力も必要になる数年掛かりのプロゼクトになる。
当会としては、関係者、関係団体の皆様と友好な関係構築に努めると共に、多くの皆様のご支援ご協力をお願いしつつ活動を行っています。

○その他

 会員の高齢化が進んでおり、若い会員の募集をしています。加えて、更なる行政のご指導、ご支援をお願い致します。

 

この団体や事業に関する質疑応答コーナー

この活動に寄せられたご意見・ご質問に対する回答は以下のとおりです。

【意見・感想】・生誕地が明確になり、栃木市の観光振興の一助となり、会の振興と共に発展されることを期待しています。

【回答】ご指導・ご支援ありがとうございます。言われます通り生誕地が明らかになりましたので、当会としては、市・関係者と相談協議の上、田中一村画伯の生誕地碑が出来なかと考えております。終焉の地は奄美大島ですが、栃木市には墓所(満福寺)と生誕地があり、揃うことになり、記念碑建設は意義のあるものと考えております。

【質問】・消耗品費と印刷製本費の決算額が予算と大きく差があり、冊子の変更と思われるが詳細を教えてください。また、冊子の配布は順調でしたか?

【回答】ご指摘の印刷費ですが、実は通常価格にて予算見積し計画しましたが、格安の印刷製本業者がみつかりまして、そこに依頼しました。しかし、その業者が印刷製本するだけで、当会にて本の印刷版を作成して依頼する方式でしたので、かなりの作業が発生しました。

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