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令和元年度 広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2019年9月24日更新
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広島平和記念式典へ中学生28人を派遣しました

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣し、広島平和記念式典への参列をはじめ、広島平和記念資料館の見学や被爆体験講話学習等を行いました。
 
【派遣期間】 令和元年8月5日(月曜日)~8月7日(水曜日)
【派遣団員】 団 長:寺尾中学校長
       団 員:市立中学校(全14校)の代表生徒 各校2人 計28人

書き出し写真1 書き出し写真2

1日目:8月5日 広島平和記念公園、広島平和記念資料館の見学

広島平和記念公園

 広島市に到着後、翌日に広島平和記念式典を控え、関係者や観光客で賑わう広島平和記念公園を見学しました。ガイドさんの説明を受けながらユネスコの世界文化遺産に登録されている原爆ドームや平和の灯等を巡り、実物を目の当たりにすることで広島を訪れているという実感が改めて湧き上がりました。

平和記念公園写真1 平和記念公園写真2

広島平和記念資料館

 公園を巡った後、広島平和記念資料館を見学しました。資料館には本館と東館があり、本館は、昨年度まではリニューアル工事中でしたが、今年度は工事が終わり見学することができました。原子爆弾による被害の凄まじさ、戦争の恐ろしさを多数の展示から感じ取ることができました。

資料館写真1 資料館写真2

団員報告より

「多くの展示品は、どれも戦争の恐ろしさ、悲惨さを物語っていました。特に心に残ったのは、『黒い雨』です。暑くて水が飲みたいけれど、飲んだら放射能で死ぬ。飲まなくても、火傷、放射能で死ぬ。『死』の一択しかないという状況はとても怖く、恐ろしいものだったと思います。また、母親が子どもを抱きしめながら亡くなった絵も心に残っています。死の直前でも母親の愛が子どもを助けようとしている姿に胸をうたれました。けれど、火に囲まれ死んでしまった、ということに心が痛みました。
 これからの未来を築く私たちが、戦争の恐ろしさや核の怖さ、唯一の被爆国であることを実感し、日本を最初で最後の被爆国にしなくてはいけないということを広めたいと思います。

「私は、『戦争の苦しさ』『生きていられることへの喜び』を実感しました。館内には、目をそむけたくなるような痛々しい展示物が並んでいました。原子爆弾は一瞬にして人々の命、築いてきたものを破壊しました。戦争中は、人々はたくさんの『つらい思い』をしてきたのだと思います。私は、被爆者の訴えかけるようなまなざしに、心をうたれました。
 戦争という悲劇を、もう二度と繰り返さないために、私たちに何ができるでしょうか。戦争があった過去を知ること、そして、どのような未来を築きたいか考えることだと思います。時が経つにつれ、被爆者が亡くなり、戦争について語る人が少なくなってきています。私は、忘れてはならない過去をより多くの人に知ってほしいと思っています。

2日目:8月6日 広島平和記念式典参列、宮島・厳島神社の見学、元安川灯ろう流し体験

広島平和記念式典参列

 広島平和記念式典に参列し、世界中からの参列者とともに原爆犠牲者に追悼の意を捧げ、平和な世界の実現を誓いました。式典後には献花を行い、祈りを捧げました。

記念式典写真1 記念式典写真2 

記念式典写真3 記念式典写真4

団員報告より

「式典には日本人だけでなく、外国の方も数多く参加していました。私は、日本だけでなく、世界中に核兵器廃絶の思いが広がっていることに感銘を受け、そして大変心強く思いました。」

「私は、広島で学んだこと、感じたことを、まずは身近な人に伝えたいと思います。そして、将来は世界中の人にも伝え、共に平和を考えていきたいと思います。」

「広島市長の平和宣言の中に、『一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができる。』という言葉がありました。また、広島市内の子ども代表による平和への誓いの中でも、『自分の身の周りを平和にすることは子どもでもできること。』という言葉がありました。私は、この二つの言葉から、あらためて一人一人の平和を願う気持ちの大切さを感じました。そして、私たち子どもも、平和な未来を築くために、努力しなければならないということを学びました。」

宮島・厳島神社の見学

 広島平和記念式典への参列後、宮島を訪れ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている厳島神社を見学しました。1,400年以上前に建てられた建造物群の美しさやその歴史的・文化的な価値に深く感銘を受けました。

宮島写真1 宮島写真2

団員報告より

「宮島の厳島神社に行って、まず一番初めに目に入ったのは、やはり厳島神社のシンボルであるあの海の上に堂々とそびえている朱塗りの大きな大鳥居です。私は、この厳島神社に行ったのは2度目で、今回は工事中でしたが、変わらずとても美しかったです。
 境内の中は神秘的な雰囲気があり、私は引き寄せられるように境内の中を見ていました。私がその中で一番心を惹かれたのは能を行う場所です。背景に松の絵が大きく描かれていて、素朴ながらとても美しいものでした。1,426年前に瀬戸内海の上に建てられた厳島神社は、台風や高潮にさらされながらも今もその姿を変わらず保っています。その堂々とした姿から長い歴史を感じることができたのは、とても良い体験だったと思います。」

「私が、宮島・厳島神社の見学で学んだことの一つは、宮島の産業の歴史です。昔の宮島には、主となる産業がありませんでした。そこで、修行僧である誓信が、厳島弁財天の持つ琵琶と形が似たしゃもじを作りました。それを、島のお土産として売り出し、現在の形になりました。私は、島を栄えさせようとした人々の努力に感嘆しました。
 今回の見学で、私は、島の歴史をつくっているのは、そこに住む人々だと感じました。大変有意義な体験になったと思います。」

元安川灯ろう流し体験

 2日目の最後に広島市内の元安川で灯ろう流しを行いました。この灯ろう流しは昭和23年頃から親族や知人を原爆で失った方々が供養のために始めたと言われています。昼間の広島平和記念式典とは異なる雰囲気の中、平和への願いを込めて灯ろうを流しました。

灯ろう流し写真1 灯ろう流し写真2

団員報告より

僕は灯ろう流しを通して、日本人の願いや思いだけではなく、世界中のたくさんの人々の願いや思いがかなってほしいと思いました。そして、世界中が核兵器のない平和で幸せな未来になってほしいと思いました。」

「灯ろう流しの会場は、たくさんの人で溢れており、平和への願いや原爆犠牲者への祈りが込められた灯ろうが静かに流れ、辺りは色鮮やかな灯ろうが幻想的な風景をつくり出し光り輝いていました。
 私は、広島の地で灯ろう流しに参加し、原爆犠牲者や遺族の方々を思う気持ちが強くなり、よりいっそう平和への意識が高まりました。これから、この経験を少しでも多くの人々に伝えていきたいと思います。」

「日本だけでなく世界各地からも世界の平和を願い、原爆犠牲者を追悼する方々が多く参加されていたことから、世界にも自分の国のことだけでなく、原爆について考えている人が多くいることを学びました。また、灯りがともされた灯ろうには、一人一人の平和を願う心が表されていました。平和を願うたくさんの灯りは、8月6日の夜の元安川を明るく照らしていました。」

3日目:8月7日 原爆の子の像への千羽鶴奉納、被爆体験講話学習

原爆の子の像への千羽鶴奉納

 原爆の子の像は、年間を通してたくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別名「千羽鶴の塔」とも呼ばれています。千羽鶴は日本国内をはじめ、世界各国からも奉納されています。各中学校で作製した千羽鶴ととちぎ平和展等で市民の皆さんに作っていただいた折り鶴で作製した千羽鶴を平和への願いを込めて奉納しました。千羽鶴の作製にご協力いただき、ありがとうございました。

千羽鶴奉納写真1 千羽鶴奉納写真2

団員報告より

「私は、千羽鶴を奉納したとき、周りに飾られているたくさんの鶴の中から、絶対に戦争をなくしたいという強い思いを感じ、ホッとしました。飾られていた鶴の中には、私たちのように県外から来た人たちの鶴も多くありました。また、広島を象徴するものを鶴で表現した作品もありました。このような様々な折り鶴を見て、広島の人々の強い思いや佐々木禎子さんの思いが全国に広がっているのだなと感じました。私たちが奉納した折り鶴にも、『戦争がなくなってほしい、幸せな世界になってほしい。』という強い思いを込めています。きっと届くと願っています。
 千羽鶴を奉納したときのあの強い気持ちを忘れずに、栃木市の皆さんや全国の人々に伝えていきたいです。また、これから先も千羽鶴を奉納したときの気持ちを大切にして、平和な世界へとつなげていきたいです。」

「平和を願う世界各地の方々が納めた中の一つであり、学校、そして栃木市の代表としての責任の重さをしっかりと受け止め、禎子さんの願った平和な未来を実現したい、という思いを持って納めてくることができたと思います。私にとって平和についてさらに深く考えることのできる、貴重な経験となりました。」

被爆体験講話学習:講師 白石多美子氏

 派遣の最終日に被爆体験をされた方の講話を聞きました。実際に体験された方の言葉は一言一言に重みがあり、原爆の恐ろしさ、平和の大切さを教えていただきました。

被爆体験講話学習1 被爆体験講話学習2

団員報告より

「僕たちは講話を通して、たくさんのことを学びました。おだやかで楽しいまちを、危険で恐ろしい場所へと変えた、原爆の怖さや悲惨さ。そして、何より人体の奥深くまで影響を及ぼし、被爆した日から現在も苦しんでいる人がいることが衝撃でした。また、心にも大きな影響をあたえ、人々の自由を奪うのが原爆だと分かりました。」

「もう二度とこのような残酷なことが起きないように、そして、起きてしまった出来事を絶対忘れないように、たくさんの人々に伝え、知ってもらおうと思いました。また、あらためて私たちの贅沢すぎる暮らし、人の命の重さ、友だちの大切さを考え直すことができました。そして、私たちは本当に幸せなのだと実感しました。」

派遣期間全体の感想

 団員報告より 

「私は三日間の広島派遣で、改めて戦争の恐ろしさと平和の尊さを学ぶことができました。原爆については、テレビや事前学習でなんとなく知っているだけでした。しかし、実際に被害にあった建物を見たり、被爆した方のお話を聴いたりし、私の知らないことがたくさんあったことを知りました。資料館には、そのときの様子が分かる写真や物が展示してありました。私が思っていた以上の悲惨さ、残酷さで、昔日本で本当に起きたことだという事実が信じられませんでした。また、たった一つの原子爆弾で一気にたくさんの命が失われ、生き残られた方も、後遺症や差別によってとてもつらい思いをしたことを被爆された白石さんのお話で知りました。被爆者の方々の悲しみや苦しみを思うと胸が苦しくなりました。
 私たちが平和な世界を築いていくためにできることは、この貴重な経験や学んだことを、友達、学校、家族、地域の方々などに伝え、平和への思いを共有していくことだと思っています。平和な世界を築き、それを存続させていくことが私たちの使命だと思います。」

派遣期間全体の感想写真1 派遣期間全体の感想写真2

報告会について

 8月29日、今回の派遣で学んだことや感じたことを班別に発表する報告会を開催しました。今後、派遣団員の皆さんには、派遣活動について、各校の学校祭などで発表し、全校生徒に広めていただくことになっています。

報告会写真1 報告会写真2

報告会班別原稿一覧

01_はじめに [PDFファイル/405KB]
02_派遣についての抱負 ・平和記念資料館の見学 [PDFファイル/659KB]
03_平和記念式典への参加 [PDFファイル/603KB]
04_厳島神社・宮島の見学、千羽鶴の奉納 [PDFファイル/711KB]
05_元安川灯ろう流しの体験 [PDFファイル/628KB]
06_被爆体験講話学習 [PDFファイル/643KB]
07_おわりに [PDFファイル/453KB]

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