ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政情報 > 市の取り組み > 非核平和事業 > 平成24年度広島平和記念式典中学生派遣活動報告

平成24年度広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2018年10月22日更新
<外部リンク>

広島平和記念式典へ中学生を派遣しました

原爆ドーム前

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣しました。

派遣期間:平成24年8月5日(日曜日)~8月7日(火曜日)

派遣団員

  • 団長:高岩大平中学校長
  • 団員:市立中学校2年生 男女各1人 計26人
  • 随行:総務課、学校教育課職員 計3人

動員学徒慰霊塔

以下は派遣団員の報告原稿より抜粋したものです。

1日目:8月5日(日曜日)平和記念公園~平和記念資料館

原爆の子の像

原爆ドーム

平和記念資料館2

平和記念資料館

平和記念公園

  • 原爆ドームは壁以外が吹き飛ばされてしまったので、中が丸見えになっています。風化が進みくずれてきたので、取り壊そうとしていましたが、1996年に文化遺産に登録されたので、取り壊されないことになりました。現代の人々に原爆のおそろしさを伝えるためにも、これから原爆を忘れないためにも、取り壊されなくて良かったなと思いました。ドームのそばを流れる元安川は、熱で熱くなり、そこに飛び込んだたくさんの人々が死んでいきました。血で真っ赤に染まった川に飛び込んでいった人達の気持ちを考えると胸が苦しくなります。
  • 広島の人々が考えたこと、それは、あまりにも悲惨な原爆の被害から、「人類は今後、核兵器と共存できない」ということでした。こうして、広島から世界への平和への歩みとして「広島平和記念式典」や「灯ろう流し」などが行われています。この結果、日本だけでなく、世界中の人々が広島に目を向け、考えてくれています。実際に式典や資料館でたくさんの外国人を見かけました。そして真剣に原爆の恐ろしさを学んでいました。

平和記念資料館

  • 展示してあったものは、とても印象的でした。特に原爆が投下される前とその後の街の模型があったのですが、全く違う街へと変わり果てていて、一発でこんなにも大きな被害を受けるのだなと思いました。原爆は今までの爆弾と比較にならないほどの破壊力を持っていて、大量の放射線や熱線、爆風が出たそうです。
  • さまざまな時計が展示されていましたが、すべて8時15分で止まっていて、原爆が投下された時、本当に世界の時間が止まってしまったかのような気になりました。
  • 資料館の中には、原爆の被害を受けた、生々しい写真や遺品の数々がありました。例えばボロボロになった学生服。ほとんどの布は焼け、洋服とは思えませんでした。他にも、爆風によって折れ曲がった鉄の扉、爆発直後の皮膚のただれた人間の模型、黒こげになった弁当箱などが展示されてあり、とても悲惨で、言葉を失ってしまいました。どの展示物も原爆のおそろしさがひしひしと伝わってきて、思わず目をつむってしまうほどでした。平和記念資料館を見学して、改めて原爆の被害の大きさや、戦争の恐ろしさを感じました。
  • 原爆で親を亡くした子供達の絵は、とても平和への願いや思いが伝わってきました。この絵を見て平和とはいかに大切かを学びました。ほかにも、原爆を落としたことをくやむメッセージなどが資料館の中にありました。特に原子爆弾が落とされた時間に止まった時計が心に残りました。本当に8時15分で止まっていて、とても原爆の悲惨さがよく伝わってきました。
  • 当時の人たちが着ていた服は、焦げたり、破れたりしていて、皮膚もただれ落ちている状態の模型もありましたが、写真には残せないくらいの恐ろしさでした。被爆された方々は大変な思い、辛い思いをしたんだということが分かりました。皮膚がただれ落ちるだけではなく、骨も灰も消え、跡形もなくなってしまった人もいました。階段に腰をかけていた状態で強烈な熱線により、周りの石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰をかけていた部分だけが影のように黒くなって残っているものもありました。自分の家族が骨も跡形もなくなってしまう悲しさは、言葉には表せないほどの思いだと思いました。

2日目:8月6日(月曜日)平和記念式典~宮島~灯ろう流し

平和祈念式典

平和記念式典2

宮島

灯ろう流し

平和記念式典

  • 平和記念式典に参加して、広島県知事や内閣総理大臣がそろって核の廃絶について語っていて、改めて核の怖さを認識することができました。しかし、その核を使った戦争が平和記念式典の会場近くで起きてしまったんだと思い、式典の途中の黙とうの時は、このような思いで頭の中はいっぱいになりました。黙とうの時間は約1分という時間でしたがその1分の中で色々なことを考えることができました。
  • ”平和への誓い”の中にあった「辛い出来事を同じように体験することはできないけれど、私たちは想像することによって共感することができます。」という言葉が印象に残りました。
  • 式典では、献花や黙とう、平和宣言、放鳩、平和への誓いなどがありました。どれも平和への思いや願いがこもっていました。総理大臣や広島市長のあいさつでは、核兵器のない社会にしていくことや、「核と人類は共存できない」とおっしゃっていました。自分も核兵器の様な恐ろしいものはこの社会から早くなくなってほしいと思いました。

宮島

宮島では厳島神社へ行き、そこでガイドさんが話をしてくれました、原爆での直接的な被害は宮島の方にはほとんどなかったそうです。しかし、宮島に数多くあった神社などで、爆心地から運ばれたけが人の手当てをした結果、2次被爆をしてしまった人が多かったという話がありました。原爆は手当してくださった人にまで害をもたらしてしまうのでとても恐ろしいと感じました。

灯ろう流し

  • たくさんの人の思いや願いの書かれた灯ろうの紙がボランティアの人の手によって灯ろうになっていました。思いや願いを書いた人は灯ろうが川に流れるのを見ながら二度とあんなことが起こらないように祈っていました。私はそこで、原爆の悲惨さ、命の平和の尊さを改めて感じました。また、色とりどりの灯ろうは川をきれいに彩り死者の安らかな眠りを呼びかけているようでした。
  • 僕たちは灯ろうに「平和への思い」を込めて流しました。海外からもたくさんの人が来ていて、平和を願う人は世界にもたくさんいることが分かりました。原爆で多くの命が奪われたことや、平和の大切さを忘れないためにも、この行事はいつまでも続けてほしいと思います。

3日目:8月7日(火曜日)被爆体験講話

被爆講話

被爆体験講話 講師:池田精子先生

  • 池田精子先生の話を聞いて、とても悲しくなりました。なぜなら、とても苦しい思いをしていたことを分かっていると思っていたけれど、本当は全く分かっていなかったからです。ぼくは、平和記念資料館で被爆者の苦しみを知りました。しかし、池田さんの話を聞いたとき、平和記念資料館で見た物よりもっとひどく、恐ろしいことが分かり、ぼくの想像していたのは、実際に起きたことと全然違いました。池田さんの話を聞いたおかげで本当の悲しさが分かりました。この3日間で最も核の恐怖を知ることが出来ました。
  • たくさんの命を奪い、心までも奪ってしまう原爆は、二度と使ってはいけません。無差別に人を殺す戦争は最大の人権侵害です。勇気、努力、挑戦の気持ちを大切にし、みんなで協力し合い、平和をつくり、世界に平和を伝えていけるような人になりたいです。

派遣期間全体の感想

原爆死没者慰霊碑

  • この3日間を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さを心で感じてみてくることができ、とても勉強になりました。資料館で見た写真や実物は今も私の頭に焼きついています。私は見学しているとき、本当にこんなことがあったのか、と思うほどのものを目にして体のふるえが止まりませんでした。もうこんなことが起きてはいけないと強く思います。だからたくさんの人にこの3日間で体験したことを伝えていこうと思いました。そして核兵器のない平和な世界を私たちの世代が作らなくてはいけないと思いました。
  • 今回の貴重な体験を通して、私は「人類と核は共存できない」という言葉が深く心に刺さりました。今全国で原子力発電所の問題が取り上げられています。私は今回の体験から原子力発電所は不用だと思いました。しかし、原子力発電所なら効率よく安く発電できます。それにそこで働いている人もいます。でも、人の命の安全とてんびんにかけてよいのでしょうか。今すぐにとはいかなくても、少しずつ本当に少しずつでいいので原子力発電所が減っていってくれればいいと思いました。しかし、今すぐにでも消えて欲しいのは原子力爆弾です。人の命しかうばわない、原爆は今すぐにでも消えてほしいです。
  • 私はこのような貴重な体験をさせていただいて、改めて原爆の被害の悲惨さを感じました。また、人間の犯した「戦争」というあやまちの大きさを知りました。たくさんの人々の命と大切なものを一瞬にしてうばった原爆は本当におそろしいものだと思うし、二度と繰り返してはいけないものだと思います。唯一の被爆国である日本に生まれた私たちには、世界を平和にする使命があると思います。また、講話などを聞いて命の重みを知って、改めて今ある日本の平和と自分の命に感謝して、一日一日を精一杯に生きていかなくてはならないなと思いました。
  • 原爆により悲しみに明け暮れた人々の姿をもう見ることがないように、これからの時代を担う私たちが同じあやまちを繰り返さずに、平和のために努めていきたいと思いました。

おすすめコンテンツ