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平成25年度広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2018年10月22日更新
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広島平和記念式典へ中学生を派遣しました

壮行会

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣しました。

派遣期間:平成25年8月5日(月曜日)~8月7日(水曜日)

派遣団員

  • 団長:鈴木藤岡第一中学校長
  • 団員:市立中学校2年生 男女各1人 計26人
  • 随行:総務課、学校教育課職員 計3人

原爆死没者慰霊碑

以下は派遣団員の報告原稿より抜粋したものです。

1日目:8月5日(月曜日)平和記念公園~平和記念資料館

平和の鐘

平和記念資料館

佐々木禎子さんの折鶴

平和記念資料館

  • 僕が、広島平和記念資料館で学んだことは戦争の恐ろしさです。そんな被害をもたらした原爆についての説明もありました。どのようにして爆発が起こるかについてくわしくまとめられていました。広島に落とされた、リトルボーイの実物大の模型も展示されていました。広島の運命は原爆によって決まりました。広島市の原爆投下前と投下後の模型がありました。その二つの模型の変わりようにとても驚きました。
    最も恐ろしかったのは、被爆者の写真です。全身火傷で皮膚が垂れ下がってしまった人、髪の毛が生えなくなってしまった人などいろんな写真がありました。
  • 私は、広島平和記念資料館に入った瞬間、言葉を失いました。原爆が投下された8月6日にタイムスリップしたかのように、写真や展示物が、胸につき刺さりました。資料の1つ1つには、人々の悲しみや苦しみ、そして怒りが込められているのです。
    私が一番印象に残ったのは、被害にあった方の実際の写真です。目をそむけたくなるような恐ろしい写真もありました。人間とは思えないほど、変わり果てた姿、「助けて」と声が聞こえてくるような気がしました。
    私は、資料館を見学して、原爆の恐ろしさを心と体で感じました。たった1発の原爆により、罪もないたくさんの人々の命を奪ったのです。今、私達に出来ることは、核兵器のない平和な世界を実現することだと思います。
  • 広島平和記念資料館は原爆の恐ろしさがよく分かりました。
    1つの原子爆弾でこんなに多くの人が亡くなってしまったのだと原子爆弾の恐ろしさをとても感じました。そして原子爆弾はあってはならないと思いました。
    それから、原爆でいろんな障がいやけがや火傷をした人もいてその写真を見てとても怖くなりました。そして被爆者はいろんな差別などをされていたので悲しくなりました。実物などもありその実物を見ていたらボロボロになってしまったものがいっぱいあってとても怖かったです。
    私は資料館で原子爆弾はあってはいけないもので戦争もしてはいけないと強く思いました。

2日目:8月6日(火曜日)平和記念式典~宮島~灯ろう流し

平和記念式典

厳島神社

元安川とうろう流し

平和記念式典

  • 平和祈念式に行ってみて、まずはじめにこの式にかかわっている人がとても多いと思いました。地元のボーイスカウトやガールスカウトの人がパンフレットや花を配っていました。小さい子から大人までボランティアで働いていてすごいと思いました。
    次に参加している国がとても多いと思いました。パンフレットを見るだけでも70か国以上の人が参加していました。世界の人が広島のことを考えてくれているんだとおもいました。
    今日の平和祈念式で、世界の人々の広島、原子爆弾への関心がわかりました。私が大人になるころには、世界から核兵器がなくなり、戦争がなくなり、平和な世界になって欲しいです。私たちが核を持っている国に呼びかけなければならないと思いました。
  • 私は平和祈念式に参列してたくさんのことを学びました。
    一つ目は原爆を受けて、たくさんのつらい事を経験した被爆者の気持ちです。被爆した人たちは何の罪もないのに命を落としてしまったり、差別されたりして、とてもつらい思いをしたと思いました。
    二つ目は、平和の尊さです。原爆で親や子どもを亡くしてしまった人たちは、自分は助かったとしても、とても大切な人を亡くしてしまってとても悲しかったと思いました。また、親を亡くしてしまった子供たちは、食事を作ってもらえなかったり、勉強を受けられなかったりととても大変だったと思いました。こうやって普通に暮らせるのは、平和が保たれているからで、改めて平和の尊さを感じました。

宮島

宮島では、テレビでしか見たことのなかった世界遺産を自分の目で見ることができ、昔の技術を学ぶことができました。

日本三景に選ばれている厳島神社では、木材を中心として造られており、歩いていると少し潮の香りがしました。そして、海の上に立っている大鳥居は、右の柱は宮崎県のくすの木、左の柱は香川県のくすの木を使っていて、よく見てみると、太さが違っていました。とても丈夫だということがわかりました。

3日目:8月7日(水曜日)千羽鶴奉納~被爆体験講話

原爆の子の像前

千羽鶴奉納

被爆体験講話

千羽鶴を原爆の子の像に奉納

  • 原爆の子の像のまわりにある千羽鶴の奉納所には世界中から多くの千羽鶴が捧げられていました。中には千羽鶴で絵を作っているものもありました。世界の人々が一羽一羽心を込めて折った鶴でした。世界の人々が団結すると素晴らしいと感じました。自分の学校でも全校生徒が一羽一羽心をこめて丁寧に折っていました。折り方が分かる人は分からない人に教えたり全校生徒が団結して取り組んでいました。佐々木禎子さんは白血病が治ることを信じて薬の包み紙で鶴を折ったのが千羽鶴の始まりと言われています。今では病気になると千羽鶴を折ったりします。その千羽鶴と原爆が関係していると知ったときは正直驚きました。次に千羽鶴を折る機会があったらこのことを思い出しながら折りたいです。
  • 私達が千羽鶴を捧げてきた原爆の子の像の近くには、他にもたくさんの折鶴が奉納されていました。若くして原爆による病を発症し、闘病中に願いを託して鶴を折り続けた佐々木禎子さん。そして原爆によって亡くなったすべての人々への祈りが、捧げられたすべての鶴に込められているのだと思います。全校生徒で鶴を折った時に、全員が強く平和への思いを込めていたとは、正直思えませんが、一人一人が少しでも「思いが届くと良いな。」と思えていれば、完成した千羽鶴にはものすごく強い気持ちがこもっていたはずです。そうしてでき、捧げられたたくさんの千羽鶴は、きっと禎子さん達に届いています。鶴に込められた平和への思いと共に。

被爆体験講話:講師 田川康介先生

被爆体験講話は、17歳のときに爆心地から2.5km離れたところで被爆された田川康介先生が話してくださいました。田川先生はあまりにも強い光に驚いて目を手でおおったそうです。わたしはそれを聞いて、広島出発前に聞いた「太陽が落ちてきたのかと思った。」という被爆者の方の話を思い出しました。それを聞いただけでも原爆のおそろしさが伝わってきました。田川先生は「68年たった今でも放射能の影響が残っている。」と話されていました。放射能という目に見えない物質のこわさを感じました。田川先生は講話の中で何度も「戦争はいけない。」と繰り返し話されました。「将来は歴史の教科書に少ししかのらないかもしれない。」と田川先生は心配されていました。そういうことに決してならないよう私達次の世代が伝えていかなければならないと強く思いました。

千羽鶴の作製にご協力いただきありがとうございました

 各中学校で全校生徒が心を込めて折った千羽鶴、各地域で開催した原爆パネル展等で市民の皆さんに折っていただいた折鶴は事務局で千羽鶴にまとめ、派遣団員が大切に原爆の子の像に捧げてきました。

 ご協力ありがとうございました。

 また、”栃木で「千羽鶴」を観る会”から3束の千羽鶴をお預かりし、併せて原爆の子の像に捧げてきました。

派遣期間全体の感想

原爆ドーム

原爆投下の目標とされた相生橋

  • 僕は今回広島を訪れて、当時の悲惨さを学ぶ事ができ、戦争がこの世になくていい根拠を学べました。
    一つの戦争の中のぶきとして使われた原子爆弾だけで約30万人の命が奪われました。こんな大事件を知らない人々に、今、平和で暮らしていることを感謝しないといけないということを、どんどん伝えていき、世界平和になることを祈ります。
  • 広島について最初に見たのは原爆ドームでした。原爆ドームは何だかとても寂しい感じがしました。資料館では今の日本には考えられないような写真や模型が並べられていてとても恐ろしかったです。被爆者講話では原爆の恐ろしさを更に深く知り驚いたことがたくさんありました。僕はこのような貴重な体験をして、原子爆弾(核兵器)、戦争からは悲しみしか生まれないと思いました。
    なので日本がもう二度と同じ過ちをしないためにも、こういった思いを伝えていかなくてはいけないと思います。日本だけでなく世界が戦争と核兵器のない世界になってほしいです。
  • 僕はこの3日間で学んだ事は、1戦争の恐ろしさ2戦争の風化です。
    1は、戦争によって今も苦しみながらも前を向いて歩き続けている人がいるという事が心に一番残りました。戦争は、後々に風評被害や人々に苦しみをあたえます。戦争をやってもなにひとつ良い事などはありません。ただ、世界各国は自国防衛のため戦争を行ったり核を保有したりしていかくという行為を行っているのです。
    2は、戦争によって苦しめられた人々が忘れさられようとしていることです。とくに、原爆はこの2013年で68年目をむかえいちじるしく風化が進んでいます。僕たちに今できる事は人々に恐ろしさを伝えていく事です。
    このような体験を通して、人々に恐ろしさを伝えて、風化させないようにしたいと思います。また、つたえていく大切さがよく分かりました。
  • 私は、広島を訪れて、平和というものは本当に尊いものだと思いました。68年前に落とされた原子爆弾の姿・形が広島にまったく残っていなかったからです。こんな世の中を奪ってしまう戦争は、本当に悲しいものだと思います。平和を守り続けるためには、一人一人の行動が大切なのだと思いました。今、自分が生きていることを、あたりまえと思わず、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えて生活していきたいです。
  • 3日間の学習の中で私は戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識しました。資料館では原爆のおそろしさとその被害に驚き、鳥肌がたつほどでした。広島を自分の目で見て感じたことは、私の戦争や平和について考える貴重な体験となりました。自分のできることを考え、同時に周囲の多くの人々に自分の経験したことを伝えていきたいです。

報告会について

 8月29日(木曜日)、今回の派遣で学んだ事や感じたことを班別に発表しました。今回は一般公開し、9人の市民の皆さんにもご参加いただきました。

 今後、派遣団員の皆さんには、各校の学校祭などで校内発表し、全校生徒に派遣活動について広めていただくことになっています。

それぞれの班別報告原稿

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