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平成26年度広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2018年10月22日更新
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広島平和記念式典へ中学生を派遣しました

平成26年壮行会の画像

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣しました。

派遣期間:平成26年8月5日(火曜日)~8月7日(木曜日)

派遣団員

  • 団長:石嶋栃木東中学校長
  • 団員:市立中学校(全14校)2年生 男女各1人 計28人
  • 随行:総務課、学校教育課職員 計3人

平成26年千羽鶴の画像

以下は派遣団員の報告原稿より抜粋したものです。

1日目:8月5日(火曜日)平和記念公園~平和記念資料館

平成26年資料館の画像

平成26年ボランティアの証言者の画像

平成26年ボロボロの服の画像

平和記念資料館

  • 一番印象強く残っているものは「黒い雨」です。これは、爆心地から3.7キロメートルの所に位置し、爆発後広島市域ほぼ全域と周辺部で降った放射性物質を含んだ雨です。白い壁にくっきりと跡が残っていて原子爆弾の恐ろしさが伝わってきます。今では考えられないことで、もし降ったらと考えると怖くなりました。
  • 資料館では一人のボランティアのおじいさんが折鶴を交えたおもちゃを配りながら、当時の子どもたちの様子を真剣に話してくださいました。そのおもちゃには、「千の風に乗って。愛する世界に。」という文字が刻まれています。これだけでも、平和への強い願いがひしひしと伝わってきます。おじいさんの話には、とても説得力があり、戦争は二度としてはいけない、これからも平和とは何か自分自身でしっかりと考えていかなければならないと改めて思いました。
  • 当時さまよっている子どもの再現模型を見た時には、驚きました。私と同じくらいの歳の子や私よりも小さい子が、皮膚がただれ、衣服はボロボロの状態でさまよっていたからです。どれほど悲惨な状態であったかが伝わってきました。私は、広島平和記念資料館を見学して、教科書だけでは、きっと学ぶことの出来なかった当時の人々の状態や、命のありがたさについて学ぶことができました。この学んだことを、たくさんの人に伝えていけたらいいなと思います。
  • この写真は、たった一度の爆弾で、切れたり焼けこげた、衣料品の数々です。中には小さい子供が着ていたワンピース、それにぐちゃぐちゃになった軍事服、大きな穴の開いたズボン、まっくろになった、下駄などたくさんありました。この資料館の見学で、戦争の恐ろしさと驚き悲しみが伝わってきました。

2日目:8月6日(水曜日)平和記念式典~宮島~灯ろう流し

平成26年式典表示の画像

平成26年式典中の画像

平成26年宮島の画像

平成26年灯ろう流しの画像

平和記念式典

  • 私は、広島平和記念式典に参加して改めて日本が唯一の原爆被爆国であることを身に染みて感じました。安倍内閣総理大臣をはじめ、国外からのたくさんの来賓の方々や被爆者、ご遺族の方々が参列していました。スピーチでは皆が69年前の8月6日を振り返りあの出来事があったからこそ分かる原爆の悲惨さや命の尊さを語っていました。戦争を経験したことのない今の若い世代が今後未来を担うにあたって日本が世界で唯一の被爆国であるという事実を自覚しなくてはいけないなと思いました。私たちは広島の平和記念式典に参加して、たくさんの「心に残ること」ができました。平和の大切さや戦争の恐ろしさを未来に伝えていく為に大切だと思います。
  • 式も後半になり、広島平和の歌を歌っているときです。近くにいた外国人の方が日本語で歌っていたのです。はっきりとした発音ではありませんでしたがしっかりと、力強く歌っているのを聴いて『この日のために事前に歌を聴いて覚えてきてくださっていたんだな』と感動しました。この人も日本や世界の平和をいのってくれているんだなと思うと“今のような平和を私たちの世代もそのあともずっと守っていきたい”という気持ちが強まりました。この歌は、雨が降っていたにもかかわらず訪れた、お年寄り、小さい子、若い男性だけでなく子連れのお母さんや外国人という沢山の人が歌っていて、この歌を通してみんなが一つになれた気がして嬉しかったです。
  • 平和記念式典、それは今までテレビで見るような、遠い存在でした。ですが、僕たちは実際に参列し、たくさんのことを学んできました。テレビでは感じられない、重々しい雰囲気がありました。式典には、内閣総理大臣、広島市長、県知事などたくさんの方々が来ていて、日本の平和への意識が強いのだと改めて感じました。雨の中、参列していた人たちの中でも大半がお年寄りの方々でした。戦争の悲惨さを後世に語りついでくれる方々がどんどん年をとっていく中、僕たち中学生が参列出来てよかった。そして今度は僕たちが受け継ぐ番なのだということを学びました。

宮島

宮島には厳島神社や大鳥居などの、国宝や国の重要文化財に指定されているものが多くあります。特に国宝である厳島神社には感動しました。厳島神社は潮がみちている時に、海水にさらされているにもかかわらず、約850年間倒れることなく、立ち続けています。しかも材料とされている木材は、腐っていないのです。世界に誇れるこの技術は、後世に伝えていかなくてはならないのだと思いました。また、厳島神社はどこから見ても、荘厳な美しさがあり、もう一度見に行きたいです。

灯ろう流し

元安川を流れる灯籠の灯は、とても感動的でした。一本の川を流れるおよそ八千個もの灯籠の一つ一つがさまざまな願いをもってゆっくりと流れていました。あれから69年たった今でも、戦争が行われている国があります。まだ幼い子どもが銃をもったり、たくさんの命がうばわれています。「核兵器」の使用は第二次世界大戦においてのアメリカの日本への原子爆弾二発の投下のみということですが、戦争によって罪もない人々が死んでいるということには、変わりありません。この先も戦争が起こってしまうことがあるかもしれません。しかし、戦争を起こさないようにするための努力をして、僕も、色々な人のために努力をして、「世界平和」という願いが世界に届き、戦争がなく、世界中の人々、一人一人が、「平和」に感じられる世界をつくっていけるように、自分ができる小さなことを、一つ一つできるようにしたいです。この八千個の願いから世界が変わるように。僕は今回の体験を身近な人から伝えていきたいです。

3日目:8月7日(木曜日)千羽鶴奉納~被爆体験講話

平成26年千羽鶴奉納の画像

平成26年平和の鐘の画像

平成26年被爆講話の画像

千羽鶴を原爆の子の像に奉納

  • 原爆の子の像は、二歳の時に原爆により被爆し、十年後に白血病と診断された禎子さんが、入院中に薬の包み紙で鶴を折ったことが元となっています。原爆は、何年かたっても沢山の人に悲劇をもたらすのだと思うと、核がなくなればいいと改めて強く思いました。禎子さんは、白血病診断から八カ月後にわずか12歳でこの世を去りました。だから、千羽鶴には禎子さんをはじめ、原爆により亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、二度と同じことを起こさないという誓いが込められています。また、核保有国に対し、核のせいで沢山の方々が被害に遭ったことを伝えるメッセージなのだと思いました。
  • 奉納する場所には数えきれないほどの千羽鶴が奉納してありました。ひとつひとつの鶴にひとりひとり、平和への願いを募らせました。戦争への各自の思いは「平和な国になってほしい」や、「笑顔が増えてほしい」など、違いますが、それがどんなに小さくてもきっと強く、大きな思いに変わったことでしょう。核兵器の廃絶と平和で安心して暮らせる社会の実現の夢を、千羽鶴に託しました。この千羽鶴が被爆された方の心に、はばたいていって届くことを願います。

被爆体験講話:講師 新宅勝文氏

  • 僕たちに被爆したときの話をしてくださったのは、当時19歳だった新宅勝文さんです。たくさんの戦いをくり返してるときに、大型爆撃機、いわゆる原子爆弾が投下されました。新宅さんは助かったものの、町には焼けこげた人の死体がごろごろと転がっていたのです。命があるとしても、新宅さんに助けてもらって、最後にはみんな亡くなってしまうというとても残酷なことの連続で、新宅さんは、「そんな中生きている私は、化け物かもしれない。」といっていました。そんな新宅さんは僕たちに心に花を咲かせなさい、と。人間という愛の花を咲かせて、光を見つけてくださいといってくださいました。新宅さんが話していただいたことは、次の世代に受け継いでいかなければならないものでした。
  • 講話を通してたくさんの人の気持ち、当時の状況、戦争や核の恐ろしさなど色々なことを学ぶことができました。その中でも一番深く考えることができたのが、命の価値です。戦争によって尊い命が奪われてしまいました。広島では原爆によって、多くの方々の命が一瞬にして奪われてしまいました。講話の中でもたくさんの人が無残な姿で亡くなっていたということをお聞きして、とても悲しい気持ちになりました。命は人が皆、平等に持っているものなのに、それを戦争や原爆によって奪うということは間違いだと思います。原爆によって亡くなられた方々は生きたかったと思います。生きて幸せに暮らしたかったと思います。でも、その気持ちさえも奪ってしまうのが原爆だということを教えていただきました。講話を聞いて今まであまり知らなかった戦争のことを知ることができました。講話で学んだことを色々な人に伝えて、自分も学んだことを活かして、命を大切にして、心の中に愛の花を咲かせたいです。

千羽鶴の作製にご協力いただきありがとうございました

 各中学校で全校生徒が心を込めて折った千羽鶴、各地域で開催した原爆パネル展等で市民の皆さんに折っていただいた折鶴は事務局で千羽鶴にまとめ、派遣団員が大切に原爆の子の像に捧げてきました。

 ご協力ありがとうございました。

派遣期間全体の感想

平成26年原爆の子の像 集合写真の画像

平成26年宮島集合の画像

 この三日間でさまざまなことを学ぶことができました。原子爆弾というものは、たくさんの人の命を奪ってしまう恐ろしいものです。原子爆弾が投下された原因は、戦争をやっていたからです。

原爆投下による悲惨な事実、そして、今でもずっと苦しみをかかえて生活している方々がいることを私たちは決して忘れてはいけません。一人一人がもっと命の尊さを大切に思ってほしいです。

 私は、平和大使として、広島原爆のことを学んでくるだけでなく、他校の人と協力し合いながら学び、仲間になることができました。広島で同じものを目で見て、聴いて、体で、心で共感できたことは、私自身、人間として大きく成長できたと思います。平和大使としてチャンスをいただけたことをとても嬉しく、感謝しています。そして、この28名のメンバーで広島に行き、たくさん学べたことは、今後、私の人生の中でも忘れることのできない思い出になったと思います。

私達は、広島平和記念式典に中学生派遣団として参加し、広島の原爆について学べたことを光栄に思います。「栃木市非核平和都市宣言」にあるように、二度と同じ悲惨な思いを繰り返すことのないよう、平和の大切さ、安心して暮らせる社会の実現を求めて、行動し、未来を支える子供達に伝えていく為にも、この経験を後輩たちに伝え、他校のメンバーと共に見て、聴いて、学んで共感してほしいです。私は、原爆についてほとんど知らずに、生活していました。こういった機会を与えていただかなければ、他人事で終わってしまったかもしれません。今後も、未来の子供達に伝えていくには、私達派遣団の様なチャンスを与えてほしいと心から思います。

報告会について

 8月25日(月曜日)、今回の派遣で学んだ事や感じたことを班別に発表しました。今回は一般公開し、46人の市民の皆さんにもご参加いただきました。

 今後、派遣団員の皆さんには、各校の学校祭などで校内発表し、全校生徒に派遣活動について広めていただくことになっています。

それぞれの班別報告原稿

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