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平成28年度広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2018年10月22日更新
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広島平和記念式典へ中学生を派遣しました

平成28年壮行会の画像

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣しました。

派遣期間:平成28年8月5日(金曜日)~8月7日(日曜日)

派遣団員

  • 団長:田中西方中学校長
  • 団員:市立中学校(全14校)2年生 男女各1人 計28人
  • 随行:総務課、学校教育課職員 計3人

以下は派遣団員の報告原稿より抜粋したものです。

1日目:8月5日(金曜日)平和記念資料館

平成28年資料館の画像1

平成28年資料館の画像2

平成28年資料館の画像3

平和記念資料館

  • 原爆の爆発の瞬間、爆発点には起高圧がつくられ、まわりの空気が膨張して、強烈な爆風が発生しました。爆風により、爆心地から半径2キロメートルまでの地域ではほとんどの建物が倒壊し、崩壊を免れた場合でも内部の家具類はほとんど焼失し、人々は爆風によって吹き飛ばされたり、倒壊した建物の下敷きになって亡くなりました。爆風は鉄筋コンクリート造の建物を押しつぶしてしまうほどの威力がある事を知り、原爆の恐ろしさを改めて感じました。中でも一番印象に残った物は、3人の中学生の遺品です。僕達と同年代の学生服を見た時、どれほど悲惨な状態であったかが伝わってきました。資料館を見学して原爆の恐ろしさを目と心と体で感じる事ができました。人々の命を奪う戦争は絶対にあってはならないこと、核兵器の無い平和な世界を実現しなければならないと強く感じました。
  • 原爆によって亡くなった方の人数は、今年の夏で30万人を超えました。亡くなった方の主な被害は、やけど、放射線などです。爆心地の近くの階段で座っていた人は、原爆投下直後、4,000度という熱により、一瞬にして体のすべてが蒸発してしまったそうです。爆心地から少し離れたところでは、全身の皮膚が溶け、人にはみえないような方がたくさんいたそうです。原爆から大量に放射線が放出したため、人体に深刻な障がいが及ぼされました。脱毛した人や、白血病になる人が多くいたそうです。原爆投下直後に被爆した人もいますが、それだけでなく、救援活動をしていた人も、残っていた放射線によって被爆してしまいました。平和記念資料館には、白血病の人ややけどの人などの写真があり、とても心が痛みました。
  • オバマ大統領は、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問しました。その時に、折り紙で折り鶴を折ったり、メッセージを書いたりしました。折り鶴は4羽折られていました。ピンクと青と黄色と赤の4色の千代紙で折られました。4羽折られていたうちの2羽は、出迎えてくれた小・中学生に手渡し、残りの2羽は、メッセージに添えられてありました。小・中学生に手渡しした折り鶴もありました。英語で書かれたメッセージは、日本語にすると、「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追及する勇気を持ちましょう。」と、書かれてありました。平和でいたいと思えるのは、過去に戦争を経験しているからだと思います。原子爆弾の威力、戦争の悲惨さ、命の尊さをしっかりと学べたと思います。
  • 私は今まで、普通の生活はあたり前なのだと思っていました。しかし、原爆の被害の様子や、遺品の数々を見て、それは違うと思い知らされました。なぜ、戦争で苦しくても生活できていた人が、突然こんな目に遭わなければならないのか、と怒りが湧きました。それと同時に、突然「普通」と切り離されてしまうことは誰にでも起こりうるのだと気付きました。今は時代が変わり、こんなに大きな戦争は起きないかもしれません。しかし、突然変わってしまうことはあり得ます。だから、今、「普通」に生活できていることに感謝したいです。そして、このようなことが日本でも、世界でも二度と起きないよう、様々な人に「事実」を伝えていきたいと思います。

2日目:8月6日(土曜日)平和記念式典~宮島~灯ろう流し

平成28年式典の画像1

平成28年式典の画像2

平成28年宮島の画像

平成28年灯ろう流しの画像

平和記念式典

  • 8月6日8時15分、司会者の「黙とう」という合図で広島平和記念式典参列者全員が原爆犠牲者に哀悼の意を捧げ、平和への実現を誓いました。鐘の一つ一つの音が私の心に響きました。そしてこの音が世界中の人々に届いて欲しい、この音を聞いて心の底から人の命の重み、尊さを感じて欲しいと思いました。私は目を閉じながら、資料館で見た被爆後の情景を思い出していました。胸が締めつけられるような感覚を覚えました。私は8月6日のあの日をもう二度と繰り返してはいけないと、強く思いました。71年前の広島の様子や人々に思いを馳せていると、1分間があっというまに去って行った気がしました。国を問わず会場にいた全員のたくさんの想いが、一つの平和の願いへとつながったように感じました。
  • 安倍総理をはじめ、広島の県知事さん、市長さんなどの、たくさんのスピーチを聞きました。英語でスピーチをされる方もいました。どのスピーチからも、「平和への思い」、「核兵器のない世界への願い」が伝わってきました。たくさんのスピーチの中でも、強く心に残ったものがありました。それは、「平和への誓い」です。子供代表として、小学6年生の男の子と女の子がスピーチをしていました。とても堂々としていて、立派でした。一つ一つの言葉に、一つ一つの思いが込められていて、私の心にしっかりと刻まれました。このスピーチを聞いて、私は世界平和への気持ちが今までよりももっと強くなりました。外国人の方も、私達日本人も、戦争が起きないことを願っているのはみな同じであることを実感することができました。
  • 僕が広島平和記念式典での献花を通して感じたことは、71年前の広島の原爆により亡くなられた方々に対して、多くの方々が花を奉納されていたことについてです。広島、原爆の日から71年が経っているにも関わらず何万人もの方が、花を奉納されていたことに僕は驚きました。当日は、大変太陽が照りつけ気温も高い中、慰霊碑の前には花を奉納するために何万人もの方が並び献花をされていました。僕は花を持って列に並び、自分の順番を待って、最前列へ行くと花を奉納して手を合わせ、原爆で亡くなられた方に慰霊をしました。献花は広島市長や広島の小学生の代表の方も行いました。僕は、この広島平和記念式典の献花を行って多くの方々が、亡くなられた方に対して慰霊を行うと同時に、世界に核兵器の無い平和な世界が実現することを祈っているのだと感じました。

宮島

私達は、厳島神社を全員で見学した後、班別行動で宮島内を散策しました。私達の班は、町屋通りの商店街を散策しました。それぞれのおみやげを買ったりみんなでお昼を食べたりしました。5人とも違う中学でしたがとても仲よくなる事ができました。考えてみれば、私達は初めて会ってからまだ4日しかたっていません。しかし、私達は同じ目的を持ち、仲よくなろうという気持ちがあったから、短い期間でも仲よくなれたのだと思います。平和記念資料館で戦争の恐ろしさを知り、平和記念式典で平和の尊さを感じました。また、宮島の散策を通して人とのコミュニケーションの大切さを学びました。国同士がコミュニケーションをとれば、戦争はなくなると思うからです。私はこの班別行動を通して、考え、学べる事はたくさんあったと思います。そして何よりも、班の5人と知り合え仲よくなれた事をうれしく思い、よい思い出にする事ができました。

灯ろう流し

71年前、8月6日原爆投下直後、元安川に水を求めて、多くの被爆者の方が集まり亡くなりました。僕は、「二度と戦争がなく、世界の人々が幸せでありますように。」とメッセージを書き、灯ろうを流しました。亡くなった人達へのそれぞれの思いと、平和を願う気持ちが込められているのだと、感じました。また、たくさんの外国の方々も平和を願い灯ろう流しをされていました。世界のみんなが、戦争のない平和の世界を願っているのです。灯ろう流しを体験して、「平和」な世界のために、一人一人の思いが大切であり、世界で唯一の被爆国として、二度と戦争を繰り返してはいけないという思いを、伝え続けていかなければならないと、強く感じました。これらのメッセージが、世界の多くの人々に届くことを願っています。

3日目:8月7日(日曜日)千羽鶴奉納~被爆体験講話

平成28年千羽鶴奉納の画像

平成28年被爆講話の画像1

平成28年被爆講話の画像2

千羽鶴を原爆の子の像に奉納

  • 原爆の子の像は、年間を通してたくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれているのだそうです。像の頂上には大きな折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立っていました。この少女は原爆の被爆者である佐々木禎子さんという方がモデルになっているそうです。像の真下には平和への願いが刻まれている石碑があり、内部には鐘がありました。そもそも、なぜ、原爆の子の像は造られたのでしょうか。それは白血病で亡くなった禎子さんの同級生たちの力によって造られたのです。禎子さんの死をきっかけに「原爆の子の像」の建立運動は全国的に広がりを見せ、ついに約3年後に像が完成しました。原爆の子の像のすぐ後ろには日本国内をはじめ、世界各国から、いくつもの千羽鶴が捧げられていました。その数はなんと、年間14万羽、重さにして約10トンにものぼるのだそうです。どの千羽鶴も、平和への願いが込められていました。私も実際に自分達で作った千羽鶴を奉納しました。これはとても貴重な体験になりました。私は、この経験を通して、千羽鶴を思いを込めて捧げにくる人が大勢いたことから、誰もが全員、世界平和の実現を願っているんだということを強く思いました。
  • 私は、「核のない世界の実現」、「世界中が平和になり、子供たちが教育を受けられますように」という願いを込め、千羽鶴を奉納しました。千羽鶴を奉納した時、原爆の子の像に捧げられている千羽鶴の多さに驚いたことを今も覚えています。その中には、アメリカのオバマ大統領の似顔絵と、Peaceという文字を、鶴で描いたものもありました。私は、たくさんの奉納された千羽鶴を見て、「世界の平和を日本の人が、世界中の人が望んでいるのだな。」、「千羽鶴の数だけ計りしれない原爆の悲しみがあるのだな。」と感じました。同時に、私自身の幸せを感じることができました。現在私達が教育を受けられるのは、日本が戦争を放棄して、教育を受ける権利を憲法で守ってくれているからなのだと感じました。私たちにできること。それは佐々木禎子さんのように、戦争の犠牲となり学校へ通えなくなってしまった人達の分まで感謝の気持ちを忘れず、学校生活を一生懸命送り、楽しむこと。また、佐々木禎子さんのように、どんな困難を前にしても前向きに生き続けていくことだと考えます。そして平和を繋いでいくことだと千羽鶴の奉納を通して思いました。

被爆体験講話:講師 川本省三氏

  • 講師の方は原爆孤児の語り部、川本省三さん(82)です。川本さんは、原爆に両親ときょうだいの計6人を奪われました。「諦めてはいけません。」この言葉は、戦後を生き抜いてきた川本さんの心の支えである母が生前、よく口にしていた言葉でした。川本さんは、8月6日の夕方、「広島が全滅した」と知りました。3日後、姉が迎えにきました。でも、その姉も白血病で亡くなってしまいます。親戚にも見放され、行き場のなくなった川本さんは醤油会社で働くようになりました。その社長に家を建ててもらったものの、好きだった女性の家へ結婚を申し込みに行くと「娘はやれん。」と女性の父親に言われ、何も持たずに村を出ました。それからは食品業界でがむしゃらに働きました。65歳で広島へ帰り、たくさんの人に「諦めてはいけない」というメッセージを今でも伝え続けています。私もこの貴重な体験で学んだことを忘れずに、何事も諦めない強い気持ちを大切にしていきたいです。
  • 川本さんは実際に体験したことを丁寧に説明して下さいました。その中でも特に心に残ったことは、終戦後の広島についてです。私たちは被爆する恐ろしさを中心に学習しましたが、本当に大変だったのは終戦後の復興の時だったと思いました。川本さんによると終戦以前は全国から多くの救援がありましたが、8月15日を境にしてがくんと少なくなってしまったそうです。そのため、街では路上生活をしていた子供たちが次々と死んでいったそうです。さらに原爆による風評被害で広島の人々は結婚もできず、仕事につくことも難しくなり、悪い方向へ流れていってしまった子供もいたそうです。川本さん自身も、とてもつらい人生を送っていったそうです。このように原爆はただ人の命を奪う兵器ではなく、その人の人生の道をも奪う、非人道的な兵器です。私はこのようなことを二度と繰り返さないためにも、核兵器の廃絶は大切だと思いました。

千羽鶴の作製にご協力いただきありがとうございました

 各中学校で全校生徒が心を込めて折った千羽鶴、各地域で開催した原爆パネル展等で市民の皆さんに折っていただいた折鶴は事務局で千羽鶴にまとめ、派遣団員が大切に原爆の子の像に捧げてきました。

 ご協力ありがとうございました。

派遣期間全体の感想

平成28年広島派遣集合の画像

私達は、広島派遣での3日間で、色々な事を学ぶことができました。私の住む国、日本で、こんなにも恐ろしいことが起きていたなんて、思いもよらないことでした。私達28人は、栃木市の平和大使として、戦争の残酷さ、悲しさ、そして、家族も友達もいなくなってしまう孤独さ。それとともに、毎日ごはんが食べられる幸せや、お父さんお母さんなどの家族と友達がいて、笑顔で過ごせる当たり前の日々のありがたさを感じることができました。そして私達は、目で見て、肌で感じて、耳で聞いてきた、様々なことを、家族や周りの友達、そして、学校のみんなに伝えていかなくてはなりません。今もまだ心に深い傷を負っている人達のこと、二度と核兵器を使ってはいけないこと、戦争は決していいことではないということ、たくさんのことをわかりやすく伝えていけるよう、がんばりましょう。栃木市非核平和都市宣言にもあるように、平和で安心して暮らせる社会の実現を求め、自ら行動できるよう、努力したいです。そして、3日間で学んだことを伝えていきたいです。

報告会について

 8月26日(金曜日)、今回の派遣で学んだことや感じたことを班別に発表しました。今回は一般公開し、54人の市民の皆さんにもご参加いただきました。

 今後、派遣団員の皆さんには、各校の学校祭などで校内発表し、全校生徒に派遣活動について広めていただくことになっています。

それぞれの班別報告原稿

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