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令和5年度 広島平和記念式典中学生派遣活動報告

印刷 大きく印刷 更新日:2023年9月8日更新
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広島平和記念式典へ中学生26人を派遣しました

 非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣し、広島平和記念式典への参列をはじめ、広島平和記念資料館の見学や被爆体験講話学習等を行いました。
 
【派遣期間】 令和5年8月5日(土曜日)~8月7日(月曜日)
【派遣団員】 団 長:岩舟中学校長
       団 員:市立中学校(全13校)の代表生徒 各校2人 計26人

出発 式典会場

1日目:8月5日 広島平和記念公園、広島平和記念資料館の見学

広島平和記念資料館

  広島市に到着後、広島平和記念資料館を見学しました。資料館は翌日に平和記念式典を控え、見学者でとても混みあっていましたが、原子爆弾による被害の凄まじさ、戦争の恐ろしさに館内は静まり返っていました。

平和記念資料館1 平和記念資料館2

広島平和記念公園

 平和記念資料館を見学後、翌日の平和記念式典の準備が進む広島平和記念公園を見学しました。原爆ドームや平和の灯等をガイドさんの説明を受けながら巡り、実物を目の当たりにすることで広島を訪れているという実感が改めて湧き上がりました。

原爆ドーム 平和記念公園

 

団員報告より

どの展示品も、いかに戦争というものが恐ろしいものなのかを伝えていました。展示を見ながら、たった一発の原子爆弾が、あんなにも豊かだった広島の土地を「70年も草や木が生えない」といわれるほどの土地に変えてしまったのかと、衝撃を受けました。展示されていた火傷を負った人の写真を見たときに、まるでろうそくが解け落ちるような状態になっている皮膚に、心が痛くなりました。「魂の叫び」という題の展示には、本能的に水を求める言葉、誰かを探している言葉などが書かれていました。その最後にあったのは、「一人ひとりに心の底からの叫びがありました。」という文章でした。78年前にあったことは、事実であり決して忘れてはいけないことだと思います。

「原爆を落とされた広島の光景が、一瞬で変わり果てたこと。そして多くの人が亡くなったこと。生き残った人々も、頭髪が焼きちぎれたり、体中に火傷を負ったりしたこと。亡くなった家族、友などたくさんの人を探し歩いた人々がいたこと。息子の名前を呼びながら探し続けた母親がいたこと。それは地獄のような現実だったと思います。 僕は考えました。「もし僕がこの状況にいたら……」想像するだけでも鳥肌が立ちます。おそらく僕は状況が理解できず、途方に暮れるだけになったでしょう。 平和を実現するためには、当時の状況を伝え続け、残していかなければいけないと思いました。そして、実際に見て感じたことを身近な人に伝え、平和とは何なのか?平和のために僕たちにできることは何なのか?核兵器はなぜなくならないのか?そういったことを問い続けなければいけないと痛感しました。

2日目:8月6日 広島平和記念式典参列、宮島・厳島神社の見学、元安川灯ろう流し体験

広島平和記念式典参列

 広島平和記念式典に参列し、厳粛な雰囲気の中、原爆が落とされた時間8時15分平和の鐘が鳴らされるとともに黙とうを行い、原爆犠牲者に追悼の意を捧げ、平和な世界の実現を誓いました。

平和記念式典3 平和記念式典1 

平和記念式典2 平和記念式典2

団員報告より

「心に残ったのは広島市の小学生の平和への誓いでした。「自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。友達の良いところを見つけること。みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。」という言葉は、私の心にずっしりと響きました。この言葉を聞いて私は身近にある平和をつないでいく必要があると思いました。一人ひとりの行動がたくさんの人々の笑顔となり、誰もが平和と思える未来になると思います。そして、今を生きる私たちがたくさんの人々の願いを実現させていきたいです。」

「私は、広島市長の平和宣言が強く心に残りました。広島市長の平和宣言の中に、「若い方々に平和への思いを高めて、広島について発信していってほしい。」という言葉がありました。この言葉に、私たちが今回、派遣団員として広島を訪れた意味や使命が込められていると思いました。この広島派遣で学んだたくさんのことを、たくさんの人々に詳しく伝えていきたいと改めて感じました。」

宮島・厳島神社の見学

 広島平和記念式典への参列後、宮島を訪れ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている厳島神社を見学しました。1400年以上前に建てられた建造物群の美しさやその歴史的・文化的な価値に深く感銘を受けました。

宮島集合写真 厳島神社

団員報告より

私たちが訪れたときに見られた満潮時の風景は、言葉が出ないほど美しく、神秘的なものでした。一番印象的だったのは、水の満ち引きに伴って神社本体が浮き沈みしていることです。しかも、浮き沈みがあっても沈むときには元あった場所に戻るように、様々な建築の工夫が施されていると聞き驚きました。宮島から、厳島神社から、そしてそこにある美しい風景から、長く続いている歴史と歴史を守るための人々の知恵、そしてそれを守り続けている人々の強い思いを感じることができました。

厳島神社の静かな境内を進んでいくと、私が一番印象に残った場所でもある、神社の正面にたどり着きました。長い歴史を感じるとともに、その美しさに感動しました。同時に、なぜこんなにきれいに残っているのかと思いました。厳島神社は1426年前に建設され、それ以降台風や満潮で浸水してしまったこともあったと聞きました。そのたびに人々は復旧作業を行ったり被害の対策をとったりしてきました。このように多くの人の手によって、今まで守られ受け継がれて来たからこそ、厳島神社は今もなお美しい姿を残すことができているのだと知りました。その長い歴史を、さらに繋いでいこうという思いを感じることができる場所だと思いました。

元安川灯ろう流し体験

 2日目の最後に広島市内の元安川で灯ろう流しを行いました。この灯ろう流しは昭和23年頃から親族や知人を原爆で失った方々が供養のために始めたと言われています。いろとりどりの灯ろうが川面に浮かぶ幻想的な雰囲気の中、平和への願いを込めて灯ろうを流しました。

灯籠流し 灯ろう

団員報告より

灯ろう流しには本当にたくさんの人が参加していました。そのため、灯ろう流しの会場にはとても長い行列ができていました。そんな行列ができるほど平和について考えている人がいるのだなと思いました。また、そこには外国の方もいました。こんな風に平和を願う人々の輪がひろがり、いつか皆の願いが叶って世界が平和になるといいなと思いました。」

原爆投下の日、熱線や放射線・熱風の影響で傷ついたたくさんの被爆者がこの元安川に水をもとめて来たと聞いています。けれどこの川までやっとの思いできた被爆者たちの多くはここで亡くなってしまったそうです。実際に川を目の前にすると当時の様子がうかんできました。そして、平和への願いや、犠牲者への祈りが込められた灯ろうが静かに流れていく姿を目にすると平和への思いがよりいっそう強くなりました。

「私は平和のために、こんなにたくさんの人が考え、行動していることに感動しました。大勢の人が流した灯篭は、元安川を幻想的な光で彩っていました。そして、その光が、平和へと繋がっていくように感じました。
私が平和への思いを込めた灯ろうも、元安川の上をゆっくりと流れていきました。ほんの小さな光ですが、死没者の霊を弔い、平和な世界の実現を願う人々の気持ちがこの灯籠のように集まって、平和な世界が実現できることを願います。」

3日目:8月7日 原爆の子の像への千羽鶴奉納、被爆体験講話学習

原爆の子の像への千羽鶴奉納

 原爆の子の像は、被爆し12歳で亡くなった佐々木禎子さんがモデルになっています。各中学校で作製した千羽鶴ととちぎ平和展等で市民の皆さんに作っていただいた折り鶴で作製した千羽鶴を平和への願いを込めて奉納しました。千羽鶴の作製にご協力いただき、ありがとうございました。

原爆の子の像で集合写真 千羽鶴奉納

団員報告より

原爆の子の像には日本をはじめ、世界各国から折り鶴が捧げられています。今では、奉納された折り鶴が再利用され、ノート、広島市内で使われる表彰状や卒業証書、灯ろう用紙などに姿を変えて、多くの人々の手にその平和の祈りを伝えています。私は、像に奉納されている鶴から、たくさんの人たちの平和への願いが感じられ、核兵器のない世界の実現のためにも次の世代へと戦争の悲惨さを語り継いでいきたいと強く心に誓いました。

神聖な雰囲気が漂う原爆の子の像を見に来る人の中には日本人だけではなく、外国の方々もいました。世界各地から原爆について知るために被爆地広島まで来て、原爆症で亡くなった貞子さんについて知ろうとする人々がたくさんいることにうれしさを感じました。禎子さんの生きたいという思いを忘れず、平和への願いをかなえるため78年たった今なお千羽鶴によってその思いを受け継いできた人々の思いのすばらしさを感じるとともに、「非核、恒久平和」への誓いが心の底から湧いてきました。

被爆体験講話学習:講師 脇舛 友子 氏

 派遣の最終日に被爆体験をされた方の講話を聞きました。実際に体験された方の言葉は一言一言に重みがあり、原爆がもたらす被害の大きさ、当たり前に続く日常の尊さを教えていただきました。

被爆体験講話 被爆体験講話

団員報告より

「私は講話を聴いて、今現在、平和に暮らしていることが、どれだけ幸せなことかを改めて感じることができました。まだ3歳なのに原爆という体験をし、その後も被爆の症状により学校も休みがちで、思うようにいかない生活はとても辛く、苦しかったと思います。今ではそれが当たり前のように感じてしまいますが、みんなと同じようにできるということはとても幸せなことだと私は講話を聴いて思いました。」

「自分が勉強をできているのがどれだけ幸せか、食べたいものを食べられること、安心して生活できることがどれだけ幸せかを深く考え、感じることができました。今、平和と呼べる生活を送れることの幸せをかみしめて日々の生活に感謝しながら生きていきたいです。」

派遣期間全体の感想

 団員報告より 

「私は三日間の広島派遣を通して、改めて「戦争や原子爆弾の恐ろしさ」や「命の尊さ」について学ぶことができました。戦争や原子爆弾については、インターネットや本、事前学習で少しは知っていました。しかし、被爆した建物などを見たり、被爆した方のお話を聴いたりしたことで、実際に広島の地を訪れなくては分からないことがたくさんあるということを実感しました。
広島平和記念資料館には、当時のことを物語るような展示物が数えきれないほど並んでいました。はじめは、たった一発の原子爆弾により、一瞬にして幸せな日常や、大切な家族、友人…そんな多くの人々の「当たり前」を奪ってしまったという事実を受け入れるのに時間がかかりました。
しかし、記念式典で多くの人々が亡くなった方を悼み平和への思いを伝える姿を見たり、被爆体験講話を聞いたりしていく中で、私たちは、戦争や原爆によって起きてしまった辛く悲しい過去に目をそむけず、向き合っていくことが大切だと改めて感じました。
私たちがもう二度と戦争を繰り返さないためにできることは、そのような過去と、そして今なお戦争がなくなることのない世界と向き合い、今回広島に行き学んだことや貴重な体験を家族や友達、学校、地域の方々に伝え、共有していくことだと思っています。平和な世界を築き、それを継続させていくことが私たちの使命だと自覚し、これから平和のためにできることを一つずつ、実行していきたいです。」

帰りの車内 原爆ドームと元安川

報告会について

 8月24日、今回の派遣で学んだことや感じたことを班別に発表する報告会を開催しました。今後、派遣団員の皆さんには、派遣活動について、各校の学校祭などで発表し、全校生徒に広めていただくことになっています。

報告会 報告会

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