令和6年度 広島平和記念式典中学生派遣活動報告
広島平和記念式典へ中学生26人を派遣しました
非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣し、広島平和記念式典への参列をはじめ、広島平和記念資料館の見学や被爆体験講話学習等を行いました。
【派遣期間】 令和6年8月5日(月曜日)~8月7日(水曜日)
【派遣団員】 団 長:都賀中学校長
団 員:市立中学校(全13校)の代表生徒 各校2人 計26人
1日目:8月5日 広島平和記念公園、広島平和記念資料館の見学
広島平和記念公園
広島市に到着後、原爆ドームや広島平和記念公園を見学しました。ガイドさんの説明を受けながら、実際に実物を目にすることで広島を訪れているということを実感しました。
広島平和記念資料館
平和記念公園のあとに広島平和記念資料館を見学しました。資料館はとても混みあっていましたが、原子爆弾による恐ろしさに誰もが思わず息を飲み見学していました。
団員報告より
「私は広島平和記念資料館を見学し、戦争や争いがない世界になるといいなと思いました。私は広島平和記念資料館に展示されていた2枚の写真が心に残りました。1枚目は、資料館にある原子爆弾が落とされたあとの街並みを撮った写真です。にぎやかだった町が変わり果てて残った建物の残骸だけでそれ以外に何もない風景に心が痛みました。しかし今では、広島の街に大きなビルやたくさんの建物があり、たくさんの人々の苦労により復興していてすごいと思いました。2枚目は、展示されていた被爆者の方々の写真です。原爆によるやけどで皮膚や体がただれ、写真を見ることもできないくらいひどいやけどでした。自分たちが日常で負うようなちょっとしたやけどとは全く違い、その写真を見ただけでどれだけ戦争がひどいものなのか見て感じました。私は広島平和記念資料館を見学し、あらためて戦争や争いがない世界になるといいなと思いました。」
「広島平和記念資料館で心に残ったのは、被爆者の実際の証言と遺品の数々です。特に、焼け焦げた衣服や日記、手紙などからは、瞬時に奪われた日常生活と命の儚さが伝わってきました。また、被爆の直後の惨状を描いた絵画や写真も衝撃的で、戦争の恐ろしさを強く実感しました。資料館の展示は、歴史の記憶を次世代に伝える重要性を感じさせ、平和の維持に対する責任感を新たにしました。さらに、被爆による健康被害やその後の長期的な影響についても深く学ぶことができました。被爆者たちの苦しみとともに、その強い生き抜く力と希望のメッセージが心に残ります。資料館の訪問を通じて、戦争を、過ちを繰り返さないために何をすべきかを真剣に考えさせられ、個人としても社会としても平和のために行動する重要性を改めて認識しました。」
「私は、広島平和記念資料館を見学して学んだことが2点あります。1点目は、原爆の悲惨さについてです。原爆は一瞬で広島市内を焼け野原にし、多くの人が大切な家族を奪われました。また、放射能の影響で今もなお、後遺症に悩まされている人もいることを知りました。2点目は、平和の尊さについてです。戦争当時は食べるものも少なく、人々は「お国のために」と言い聞かされながら働き、空襲でいつ命を落とすかもしれないという状況に置かれていました。現在の日本は、何不自由なく大切な家族と幸せに暮らすことができ、平和であることのありがたさを再認識しました。私は、広島平和記念資料館を見学して、二度と戦争を起こしてはならないと思いました。」
「私は平和資料館を見学し原爆の恐ろしさ、命の大切さを学びました。平和資料館の中では、たった1発の爆弾で命を落とした人々の写真、家が全滅して周りには何もない写真などがたくさんありました。今の日本からは考えられない広島の悲惨な姿に驚き、このようなことは絶対にあってはいけないと強く思いました。そしてたくさんの人が亡くなったことのわかる写真ではいきたくてもいきることができない人の気持ちを感じ、命の大切さを学びました
私は平和資料館で学んだことを戦争のない世界のためいろいろな人に伝え、共有したいと思います。」
2日目:8月6日 広島平和記念式典参列、宮島・厳島神社の見学、元安川灯ろう流し体験
広島平和記念式典参列
2日目は朝早くから起きて、広島平和記念式典に参列しました。荘厳な雰囲気の中、原爆が落とされた8時15分に平和の鐘が鳴らされるとともに黙とうを行い、原爆犠牲者に追悼の意を捧げ、平和な世界の実現を誓いました。
団員報告より
「今回の広島平和記念式典に参加し、私は次のような疑問を持ちました。それは、「今回の式典には一体何人の人の協力が必要だったのだろう」ということです。今回の式典にはものすごくたくさんの人の協力が必要だったと思います。なぜ今回の式典ができたのかといえば、それほどまでに「原爆」という出来事が悲惨だったからであると考えます。今回の派遣を通して、私は原爆の、そして戦争の悲惨さを学びました。だからこそ、式典を行う意義を、理由を、より深く考えることができたと思います。来年も、再来年も行われるであろうこの式典は、毎回たくさんの人が協力することで成り立っています。そのことをしっかりと考えたうえで、またこれから過ごし方について考えてみようと思うきっかけとなりました。」
「今回の広島平和記念式典は、30度を超える気温の中、約5万人の参列者がいたそうです。その中で行われた式典に参加し、私が心に残ったことは、広島市の二人の小学六年生による「平和への誓い」の言葉でした。「願うだけでは、平和は訪れません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。」という言葉に気づかされました。“今まで自分は願うだけだったのかもしれない”と心の中で反省し、今までの平和に対する思いや考えを見直す良いきっかけとなりました。私はこれからたくさんの人と出会うと思います。そこで、お互いの意見を尊重し、自分でできることを考え、そして共に行動する、これらのことを常に心の中にとめ、人々の輪をつなげていきたいです。」
「私は今回の広島平和記念式典に参列させていただき、次の様なことが心に残りました。それは、実際に原爆の被害を受けていない人でも過去の被害を知り、参列している方がとても多いということです。中には私たちよりも小さい子もいました。それほど原爆による被害は悲惨で、当時の方々が心意に伝えてくださっていたのだなと改めて感じました。だからこそ、私たちも伝え、原爆の悲惨さをもっと多くの人に知ってもらいたいとも思いました。そして今、報告会というこの場で発表をしています。ですが私は以前からこのような活動に興味を持っていたものの、実際にしてはきませんでした。私のほかにもそのような方はたくさんいらっしゃると思います。だから私はこの先、そんな方々に代わり、原爆の悲惨さ、命の尊さを後世に伝えていきたいです。」
「私は今回の式典でたくさんの方々がお話しされる中、2つの言葉が強く心に残りました。1つ目は「皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。」という平和宣言の一部の内容です。私はこの派遣行事に参加する前は戦争や原爆のことを理解していたけれど、それはただ考えていて全く行動に移すことができずにいたことを気づかせてくれたからです。二つ目は平和への誓いの「被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。」という内容です。広島に原爆が落とされたのは79年前という長い年月が経った今でも語ろうとしないのはそれだけ、原爆の恐ろしさや悲しい記憶、苦しみ。だからこそ私たちにできることはどのスピーチにも言われていた通り、「次世代に継承する」ということだと思うので少しでもできたらいいなと思います。」
「私は、広島平和記念式典に参列し、たくさんの方々のお言葉や誓いを聞きました。その中でも特に印象に残っているのは、「願うだけでは、平和は訪れません」というこども代表の平和の誓いです。平和を願うことは、誰にでもできることですが、平和のために行動することは、簡単なことではないと改めて実感しました。また、今回は戦争中の国も参列したとのことでした。今もなお原子爆弾の開発や実験が行われています。そのような中、戦争や原爆の悲惨さ平和の尊さについて知るためには、実際に見て、聞いて、感じて、そして考えることが大切なのだと思いました。 今回私は、『つなぐ』こと『考える』こと、この2つが大切だということを学びました。これからは、平和を願うだけではなく、今回学んだことを少しでも多くの人に伝えてつないでいきたいです。また、それが戦争や平和について考えるきっかけになってほしいです。」
宮島・厳島神社の見学
広島平和記念式典に参列した後、宮島を訪れ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている厳島神社を見学しました。1400年以上前に建てられた建造物の美しさやその歴史的・文化的な価値に深く感銘を受けました。
団員報告より
「僕は今回初めて宮島や厳島神社を訪れました。宮島や厳島神社はインターネットなどでしか見たことがなく、実際にはどのような場所なのかわかりませんでした。そして、実際に宮島を訪れて特に印象に残ったことがあります。それは、シカなどの自然との近さです。ガイドさんのお話を聞いていると、宮島では、道路や商店街などにシカが座っていたり、歩いていたりすることが普通のことだと知ることができ、自然と人の関係性が身近に感じることができるのだと思いました。また厳島神社では、おみくじが他とは少し変わっていることを知りました。厳島神社のおみくじは他の神社のおみくじとは違い、同じ吉でもその吉の種類が少し違っていました。僕は、今回の見学で友達との交流もすることができ、関係が深くなったと思います。」
「僕が宮島、厳島神社を見学して学んだことは、厳島神社の歴史と宮島の自然の豊かさです。まず厳島神社は593年に創建され、1996年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。僕は厳島神社が約1400年以上の歴史を持つということに驚きました。これからも厳島神社の歴史が続いていけばいいなと思いました。そして、宮島の自然の豊かさについて学んだことは、厳島神社の後背地にある広葉樹のエリアが厳島神社と同じ1996年に世界遺産に登録されたということです。僕は、宮島は自然にあふれているということを実感しました。広葉樹のほかにも、歩道や砂浜などに鹿が生息していました。宮島の鹿は、約600頭いましたが、戦争で絶滅の危機に瀕しました。戦後、宮島の鹿を再生するため、奈良公園から鹿を移入しました。そして、厳島神社出口に繁殖場をつくり、少しずつ鹿の数が増えていったそうです。僕はこれから宮島の自然を保護し後世へ語り継いでいくことが大切だと思いました。」
元安川灯ろう流し体験
2日目の最後に原爆ドームの前の元安川で灯ろう流しを行いました。この灯ろう流しは昭和23年頃から親族や知人を原爆で失った方々が供養のために始めたと言われています。生徒の皆さんも平和への願いを込めて灯ろうを流しました。
団員報告より
「僕は灯籠用紙に「世界中が平和になりますように」「戦争で亡くなった方々が安らかに眠れますように」ということと平和の象徴である鳩とデイジーの花を書きました。1つ目の「世界中が平和になりますように」と書いた理由は、今世界では戦争が行われ、苦しんでいる国、人々がいます。そのような人たちが平和に幸せに暮らせるようにと願いを込めて書きました。そして、2つ目の「戦争で亡くなった方々が安らかに眠れますように」という言葉は、79年前理不尽に命を奪われた人々が安らかに眠れるようにという祈りを込めました。今回流した灯籠の願いが叶って、世界中が平和になってほしいです。また、この経験を色々な人に伝え自分達でも平和な世界をすこしずつ作っていきたいです。」
「僕は灯籠用紙に「健康に暮らせますように」と「戦争のない平和な世界」という2つの願いと、鳩と鶴の絵をかきました。この願いを書いた理由は、自分自身が怪我無く健康に楽しい一年がすごせるようにという思いから、健康に暮らせますようにと書きました。次に「戦争のない平和な世界」と書いた理由は、世界ではウクライナとロシアなどの戦争があり、たくさんの人が、亡くなってしまっているので、早く戦争が終わってほしいという理由から、この言葉を書きました。この広島の3日間で学んだことを、たくさんの人に伝え、戦争の悲惨さ、平和の大切さを、知ってもらいたいです。そして、戦争がなく、世界のみんなが、安心して暮らすことの出来る世界をつくりたいです。」
「私は灯籠流しでの体験を通して学んだことは、79年前、原爆により元安川で何人もの尊い命が犠牲になり、そのようなことは二度と繰り返してはいけないということです。灯籠流しには、たくさんの人が元安川に集まり、中には海外の方や小さな子どもの姿もあり、一人一人が平和の願いを込めた灯籠をもち、川に流していました。それを見て私はどんな理由があろうと戦争はしてはいけない、一刻も早くこの世から核兵器がなくなってほしいと思いました。灯籠流しを通して、戦争の悲惨さ、そして平和の大切さを改めて実感しました。この体験で学んだことをたくさんの人に知らせて、平和について考えてもらいたいと思いました。」
「灯籠流しを通じて、私たちの思いが犠牲となった方々に届けられることができる素晴らしさを学びました。元安川には、子供から高齢者、海外の方など様々な人が集まっていました。その一人一人が平和を願う灯籠を川へ流していました。涙を流す人や祈りを唱えながら流す人もいました。その光景を見て私は戦争の悲惨さを改めて理解し、決して忘れてはいけないものなのだと実感しました。また遠くから見た元安川に浮かぶたくさんの光が、世界平和の実現に繋がるのではと思い、とても感動しました。戦争の出来事は時が経つにつれ、忘れられていくのではないかと思います。私たちは、この貴重な体験を無駄にすることのないよう、後の世代に繫いでいきたいです。もっとたくさんの人に灯籠流しを通して、戦争を行ってはいけないということそして、平和な世界がどれほど美しいのかを知ってもらいたいです。」
3日目:8月7日 原爆の子の像への千羽鶴奉納、被爆体験講話学習
原爆の子の像への千羽鶴奉納
原爆の子の像に各中学校で作製した千羽鶴ととちぎ平和展等で市民の皆さんに作っていただいた折り鶴で作製した千羽鶴を平和への願いを込めて奉納しました。千羽鶴の作製にご協力いただき、ありがとうございました。
団員報告より
「原爆の子の像について説明します。原爆の子の像のモデルとなったのは、佐々木貞子さんという方です。佐々木さんは原子爆弾投下による被害者でしたが、外傷もなく元気に成長しました。しかし、12歳で白血病の診断を受け、病院で入院することを余儀なくされました。入院中にお見舞いとして千羽鶴が贈られたことをきっかけに「生きたい」という願いを込めて折り鶴をつくり始めました。しかし願いはかなわず、1955年10月25日白血病のため亡くなりました。その後、佐々木さんの同級生が貞子さんをはじめ、多くの子供たちの死を悼む像としてつくられたのが原爆の子の像です。佐々木さんの話は世界に広まり今では年間約1千万羽もの折り鶴が寄せられています。広島市が集計を始めた2002年度から像に届いた鶴の数は2億羽を超えているそうです。」
「今回奉納した千羽鶴は私達が各学校で折った千羽鶴と市民の方が折った鶴を合わせて作られた千羽鶴です。完成した千羽鶴はとてもきれいでした。私達が奉納した千羽鶴以外にもたくさんの千羽鶴が奉納されていました。また、私達以外にも鶴を奉納しに来ている方がいました。奉納されているたくさんの鶴や鶴を奉納しに来ている人を見て、たくさんの人が戦争や核兵器がない平和な世界になることを願っていることが伝わってきました。私は千羽鶴が奉納されているとき、世界中が自分の命だけでなく、家族・友達・自分が知らない会ったこともない人でもこの地球にいる全ての人々の命が大切にされる世の中にしていかなければならないと思いました。そして、戦争や核兵器がない平和な世界にしていかなければならないとも思いました。そのためには、この気持ちを忘れずに、私達一人一人ができることを日々やっていくことが平和な世界を作っていく第一歩になると思います。」
被爆体験講話学習:講師 佐渡 郁子 氏
派遣の最終日に被爆体験をされた方の講話を聞きました。実際に体験された方の言葉は一言一言に重みがあり、原爆がもたらす被害の大きさ、当たり前に続く日常の尊さを教えていただきました。
団員報告より
「僕達は、7歳のときに被爆した佐渡郁子さんという方の話を聞きました。このとき、佐渡さんは無事でしたが、妹とお父さんは亡くなってしまいました。佐渡さんは、原爆を体験して「戦争は悪いことであり、平和や命を大切にすること。平和の原点は人と人の心のふれあいだ」ということを実感したそうです。
2また、原爆ドームや原爆の子の像についてもお話をしていただきました。佐渡さんのお話では、現在の原爆ドームの建物は以前多くの人でにぎわうところだったとのことでしたが、原爆によって大きく壊れ、その姿は今でも原爆の悲惨さを伝えるものになっています。3また、原爆の子の像については、モデルとなった佐々木貞子さんの思いを引き継いだ同級生の協力で像が建てられたことなどのお話をしていただきました。」
「私は講話を聴いて、原爆のとてつもない恐ろしさに衝撃を受けました。原爆が落ちた瞬間この世が終わったような音がし、その熱線の温度は3000度~5000度だったそうです。3000度という温度は本当に想像ができなく、原爆は人々の常識を超える恐ろしい核兵器なのだと改めて実感しました。そう思うとともに、核兵器はこの世に存在していいものではないと強く思いました。そして、この世が終わったような音、正直私にはどのような音なのかは言葉だけでは理解ができませんでした。それほど、今の毎日が平和なのだと知ることができました。平和の原点とは人の心と心の触れ合いであると語っていました。朝いつも通りに起きて、夜暖かい布団の中で眠りにつけることがどれほど幸せか、今の日常を当たり前のことだと思えることがどれほど平和なのか、講話を聴いて気づかされました。戦争について知ることで、平和について考えることができると思うのでたくさんの人に伝え、知ってもらいたいです。」
「私は講話を聴いて、今私たちが不自由なく生活できていることは、とても幸せなことなのだなと感じました。今は、家があり、食べ物もあり、学びたいことを学ぶことができます。しかし当時は、原爆で家が焼かれ、その日の食べ物にも困っていたそうです。また、私たちよりも小さい子供が、一人で、生きるために一生懸命働いていたそうです。そして、そういう状況は、決して昔のことではありません。今も戦争をしている国があり、戦争によっていつも通りの生活が奪われてしまっている人がたくさんいます。戦争のさなかに生まれ、戦争をしているのがいつも通りの生活だという人も世界にはいることでしょう。私たちは自分の幸せだけを考えて生きていていいのでしょうか。私はそうは思いません。広島、長崎の教訓を生かし続け、日本だけではなく、世界中に平和を、幸せを届けなければいけないと思います。これは、決して簡単なことではありません。でも、たくさんの人が、戦争の恐ろしさを知り、平和について真剣に考えれば、それだけで、戦争はしない、核兵器は使わないということを訴える大きな力になると思います。そのために、私は中学生平和大使として、被爆者の声をたくさんの人に伝え続けていこうと思いました。」
「私は、被爆者体験講話学習に参加し、広島の原爆被害・平和の大切さについて学ぶことができました。まず、佐渡さんは自分がどのような状況で被爆されたのか、詳しく教えてくださいました。被爆された佐渡さんは、目がくらむほどの閃光をあびてしまい、横を見ると顔以外焼けてしまった妹がいました。その姿は、悲惨なものだったそうです。このような具体的な表現を通しながら、原爆の怖さを再認識することができました。また、被爆者の方々が伝えたい平和への願いを深く知ることができました。佐渡さんは自身の経験を通して、戦争の悲惨さ、平和の大切さを強く訴えていました。特に印象的だったのが、「平和の原点は人の心と心の触れ合い」と、佐渡さんは語っていました。佐渡さんの平和へのメッセージを聞いて、命の尊さについてよく学ぶことができました。この講話学習を通して、原爆の怖さを深く学ぶことができました。また、平和の大切さについても再認識し、自分が平和のために何ができるかを考えながら行動していきたいと思いました。」
「私は講話を聞き、学んだことが2つあります。一つ目は原爆の恐ろしさです。写真や絵、メディアを通して見るだけでは感じられない生々しさや悲惨さ、そして原爆による影響など、話を聞いていても想像ができないような恐ろしさに恐怖を感じました。二つ目は命の大切さです。一つの原子爆弾により、およそ14万人もの人が亡くなられました。そして家族を失い原爆孤児になった人や放射線を浴びてしまい原爆症にかかった人など、生きたくても生きられない人が大勢いることを聞き今このように普通の日常を過ごしていることに命の大切さ感じました。最後に私は講話を聴き「今」を大切に過ごしていきたいと強く思いました。」
派遣期間全体の感想
団員報告より
「私は三日間の広島派遣を通して、改めて「原爆の恐ろしさや悲惨さ」そして「平和」について学ぶことができました。戦争や原子爆弾については、学校での授業やインターネット、事前学習で学びましたが、実際に現地へ行き被爆した建物を見たり被爆した方のお話を聴いたりしたことで、原爆の恐ろしさや悲惨さについてより学ぶことができ、また被爆した時の写真や絵を見たことで平和について深く考えることができました。
広島平和資料館には原爆の恐ろしさが伝わる展示物が数えきれないほど並んでいました。想像していたよりの原爆の恐ろしさを知りその事実に喪心しました。しかし、記念式典で多くの人々が亡くなった方を悼み平和への思いを伝える姿を見たり、被爆体験講話を聞いたりしていく中で、私たちは戦争や原爆によって起きてしまった辛く悲しい過去に目を背けず向き合っていくことが大切だと改めて感じました。
私たちが戦争を二度と起こさないためにできることは、そのような過去と戦争のなくなることのない世界と向き合い、今回広島に行き学んだことや体験したことを家族や友達、学校、地域の方々に伝え共有していくことだと思っています。平和な世界を築くために行動に移し、継続していくことが私たちの使命だと自覚し、これから平和のためにできることを一つずつ、実行していきたいです。」
報告会について
8月22日、今回の派遣で学んだことや感じたことを班別に発表する報告会を開催しました。今後、派遣団員の皆さんには、派遣活動について、各校の学校祭などで発表し、全校生徒に広めていただくことになっています。