令和8年度 広島平和記念式典中学生派遣活動報告
広島平和記念式典へ中学生22人を派遣しました
非核平和事業の一環として、次世代を担う中学生に戦争の悲惨さや平和の尊さを再認識してもらうため、市立中学校の代表生徒を広島へ派遣し、広島平和記念式典への参列をはじめ、広島平和記念資料館の見学や平和学習の集いへの参加等を行いました。
【派遣期間】 令和8年8月5日(水曜日)~8月7日(金曜日)
【派遣団員】 団 長:東陽中学校長
団 員:市立中学校(全11校)の代表生徒 各校2人 計22人

1日目:8月5日 千羽鶴の奉納、広島平和記念資料館の見学
広島平和記念公園
広島市に到着後、原爆ドームや広島平和記念公園を見学し、千羽鶴を奉納しました。平和記念公園では翌日の平和記念式典の準備やリハーサルが進められていました。
原爆の子の像への千羽鶴奉納
各中学校で作製した千羽鶴と、とちぎ平和展等で市民の皆さんに作っていただいた折り鶴で作製した千羽鶴を、平和への願いを込めて、原爆の子の像に奉納しました。千羽鶴の作製にご協力いただき、ありがとうございました。
団員報告より
「原爆ドームは、もともと広島県産業奨励館という名称で、物産の展示、即売や美術展覧会が催されていました。原爆は、この建物の南東約160mの上空600mでさく裂しました。爆風や熱線をほぼ垂直に受けたのと、建物に窓が多かったので、窓から爆風が分散され、厚い壁や骨組みが残りました。1996年12月に核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産に登録されました。崩れた壁やむき出しになった骨組みから、原爆の恐ろしさがリアルに伝わり、原爆ドームだけ時間が止まっているかのように感じました。私は、核兵器の根絶を願う気持ちが改めて強くなりました。」
「広島の平和記念公園にある原爆の子の像は、佐々木禎子さんという、少女の死をきっかけに建てられました。禎子さんは2歳で被爆し、9年後に白血病を発症しました。回復を願いながら病気と戦いましたが、わずか12歳でなくなりました。彼女の死にショックを受けた同級生たちが、原爆によって亡くなった方たちのために慰霊碑を作ろうと全国に呼びかけ、その募金でこの像が完成しました。この像は今も原爆の悲劇を繰り返さないという決意を表し続けています。私は戦争や原爆は関係のない子供たちの未来や命まで奪ってしまう恐ろしいものだと、改めて強く実感しました。」
「私達は栃木市立中学生一同として千羽鶴を贈呈しましたが、他の中学校からからもたくさんの千羽鶴が贈呈されていました。千羽鶴にはたくさんの人のたくさんの思いが詰まってると考えると、完成した千羽鶴を見た時一気に感動が込み上げてきて、鶴を折ることができてよかったと思いました。」
「年間1,000万羽、重さ10トン、世界各国の国からも千羽鶴がたくさん送られていることを知り、とても驚きました。世界各国からも佐々木禎子さんたちや原爆被害者の子どもたちの霊をなぐさめ、平和を願ってくれていることを肌で感じることができました。」
広島平和記念資料館
千羽鶴を奉納した後、広島平和記念資料館を見学しました。資料館はとても混みあっていましたが、原子爆弾による悲惨な状況を前に、誰もが息を飲み見学していました。
団員報告より
「広島平和記念資料館の中を進んでいくと、被爆する前の広島と被爆直後の広島の市街地の映像が立体型に投影されたものがあります。その映像には、原爆が投下される様子やその後爆発して街が一瞬にして赤く染まり煙に飲まれて広島の平和な日常を奪った瞬間のすべてが写されていました。私はそれを見て本当に原爆は恐ろしいと思いました。それと同時に、笑顔で普通に生活していた戦争とは何一つ関係ない人たちが、たった一つの原子爆弾で犠牲になったことがとても悲しかったです。資料館には、被爆した人たちが実際に着用していた洋服や、使っていたものが展示されていました。その他にも、被爆や戦争の悲惨さ、残酷さを示す写真や資料がたくさん並んでいて、8月6日に広島に何があったのかがとても良くわかりました。服やバッグは原爆が投下される直前まで広島にいた人々が生きていた証拠でもあると思います。これを生で見て、戦争や核兵器をなくすことなどを訴えているようにも感じ、この記憶や広島で起きたことを決して忘れずに伝えていき、戦争がなくなり核兵器もなく、みんなが戦争などの争いに怯えず楽しく生活できる世界へつなげる一歩を確実に進めることが大切だなと思いました。」
「私は、原爆投下直後の『75年間は草木も生えない』とされた絶望的な焼け野原と、緑豊かに生まれ変わった現在の広島の街、この2つの姿の対比から、人間の持つ恐ろしい破壊力と、それを乗り越える不屈の生命力を学びました。今の美しい街並みは、先人たちが平和を願い、懸命に立ち上がった努力の結晶です。私達はこの復興の奇跡に感謝し、二度とこの日常を壊さぬよう、広島の願いを未来へ繋いでいく責任があります。私は資料館に展示されている、犠牲になった子どもたちの遺品を目の当たりにし、核兵器の恐ろしさを見に染みて感じました。教科書の文字を読むだけでは分からなかった、一人ひとりの命の重みを実感しました。広島で学んだ私達は、この悲劇を二度と繰り返さないために、現地の思いを周りの人に伝えていく使命があると考えています。」
2日目:8月6日 広島平和記念式典参列、宮島・厳島神社の見学、元安川灯ろう流し体験
広島平和記念式典参列
2日目は、広島平和記念式典に参列しました。厳粛な雰囲気の中、原爆が落とされた8時15分に平和の鐘が鳴らされるとともに黙とうを行い、原爆犠牲者に哀悼の意を捧げ、平和な世界の実現を誓いました。
団員報告より
「平和記念式典とは、世界初の原子爆弾が投下された広島県広島市で毎年行われる、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を願うための式典です。この式典には小学生などの若い世代から被爆者まで、そして国境を越えた人々が、原爆での悲劇を繰り返さず、核兵器のない平和で安心して暮らせる世界を創る、という共通の願いを胸に、平和への祈りを捧げていました。式典は原爆死没者名簿の奉納から始まり、死没者名簿は原爆により亡くなった人の氏名、死没年月日、年齢が記録されています。今年、新たに名簿に書き加えられたお名前は4,393名でした。これは近年で最も少ない数です。しかし、人数が減ったからといって悲しみが薄れたわけではありません。これは戦争を乗り越え、生き抜けてきた人々の数がいよいよ少なくなっているという、時の経過の厳しさを意味しています。直接体験を語れる人がいなくなる未来がすぐそこまで迫っています。だからこそ、私達が平和へのバトンを受け継がなければいけないと思います。」
「私は、平和記念式典の参列者の一人にすぎません。しかし、あの場所で過去に起こった出来事と向き合うことができました。8時15分、私は、黙祷を捧げました。静けさが私達を包み込みました。81年前、今の私達と同じように、家族と笑い、学校に通い、友達と話している人がいました。私は、いつも通りの日常を過ごせることがどれだけ幸せなことかを実感することができました。黙祷の時間は、決して長いとは言えませんでした。しかし、その厳粛な空気の中で、亡くなった方々のことを思い、今、こうして戦争をしない平和な国で生きていることについて考えることができました。黙祷は、亡くなった人を追悼するだけではなく、恒久平和を願い、その思いを未来へ紡いでいくための時間なのだと感じました。1945年のあの夏、原爆投下からわずか数ヶ月の間に広島で亡くなった方の数が14万人で、2026年3月現在、癒える事のない心の傷と共に生きる被爆者の数は9万人です。次第に少なくなる被爆者の言葉、そして声にもならなかった思いに、私達は、深く耳を傾ければならないと思いました。」
「平和記念式典当日は、会場へ向かうと会場はとても厳かな雰囲気で、いつもとは違う緊張感がありました。式典では、平和への願いや、市長の平和宣言を聞き、改めて戦争、原爆が広島の地にもたらした残酷な状況と悲惨さ、平和の尊さについて考えました。中でも特に印象的だったのは、平和への誓いでこども代表が言った、『私たちには、被爆体験を直接聞くことができる最後の世代として、当時の記憶を事実として受けとめる使命があります。』という言葉です。その言葉を聞き、『知る』だけではなく、『受け継ぎ』、戦争や原爆の記憶を風化させず、私たちが周りや次の世代へと伝えていくことの重要性を強く感じました。今回式典に参加させていただいて、実際に自分の目で見て、肌で感じることで、より、考えが深まったと思います。また、感じたことや思いを忘れず、周りへ発信していきたいです。」
「私達は平和記念式典に参加し、原爆によって多くの命が奪われただけでなく、家族や友人との日常、将来の夢や希望まで奪われたことを改めて考えました。式典で黙祷をしたとき、80年以上前に広島で起きた出来事が、教科書に書かれた遠い歴史ではなく、実際にそこで暮らしていた一人一人の人生に起きたことなのだと感じました。また、会場にいた多くの人が平和を願う姿を見て、平和は当たり前に続いていくものではなく、私達一人一人が大切にしていく必要があるものだと思いました。広島の地で実際に式典に参加したことで、今、家族や友達と笑って過ごせる毎日がどれだけ大切で幸せなことなのかを、以前より強く実感しました。平和式典を通して、平和を守っていくには、過去に起きた出来事を知るだけでなく、その記憶や思いを次の世代へ伝えていくことが大切だと学びました。原爆を経験した方々が少なくなっている今、私達若い世代が被爆者の方々の体験や平和への願いを受け継いでいく必要があると思います。また、戦争や原爆について学ぶことは、過去を振り返るだけではなく、同じような悲しい出来事を二度と起こさないためにも必要なことだと感じました。今回の式典を通して、平和について考えることを自分だけで終わらせず、これからも多くの人と一緒に考えていくことが大切だと思います。」
「私は平和記念式典に参列して、戦争の残酷さや、身近にある平和の大切さについてより深く理解することができました。平和式典に参列する前の私には、たった一発の原子爆弾で多くの人が被爆し、数え切れないほどの建物が崩壊して、今もなお、後遺症に苦しんでる人がいるという事実があまりにも信じがたい出来事で、想像することが難しい部分がありました。しかし平和式典への参列を通して、たくさんの方のお話を聞き、核兵器のない平和な未来を願うのと同時に、平和のために自分にできることを考え、行動していきたいと思いました。特に胸を打たれたのが、広島市の小学6年生、柿崎由宇さんと河野和希さんによるこども代表の平和への誓いです。平和への誓いの中で『平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。』という言葉が強く心に残っています。平和記念式典への参列を経て、もう二度と繰り返してはいけない原爆の恐ろしさと、当たり前ではない平和の大切さを学ぶことができました。また、私たちが被爆体験を直接聞く事ができる最後の世代としての責任を持ち、戦争の悲惨さ、平和の大切さを次の世代へ伝えていきたいと思いました。」
宮島・厳島神社の見学
広島平和記念式典に参列した後、宮島を訪れ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている厳島神社を見学しました。1400年以上前に建てられた建造物の美しさやその歴史的・文化的な価値に深く感銘を受けました。
団員報告より
「宮島は、瀬戸内海の広島湾にある厳島神社を中心とする歴史と文化、背後の弥山を中心とする自然が調和された島です。1923年、宮島全体が国の史跡名勝に指定されました。世界文化遺産である厳島神社を有する宮島は、神宿る島とも呼ばれ、かつては島全体が神宿る御神体だと考えられていました。宮島は「お宮(厳島神社)がある島」という意味で江戸時代から親しまれるようになった通称で、厳島が飛鳥時代から使われ続けている正式名称です。厳島神社は593年、佐伯鞍職により創建されたと伝えられています。厳島全体が神の島と崇められ、神聖な陸地に人が踏み込んで建物を建てるのは畏れ多いとされたため、潮の満ち引きするところに神社が建てられました。その後、1168年に平清盛が現在の規模に造営し、災害により何度か建て替えられていますが、当時の姿を伝えているいわれています。1996年12月にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。厳島神社の主祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神です。」
「宮島には、多くの鹿が生息していおり、自然の鹿を守るために『近づかない』『触らない』『餌をやらない』という3つのルールがあります。そのような自然豊かな宮島で私が学んだのは、自然保護の大切さです。鹿以外にも、宮島には貴重な自然のものがあります。絶滅危惧2類に指定されているハクセンシオマネキというカニや世界遺産に指定されている『弥山原始林』(みせんげんしりん)など、様々な自然が広がっています。そんな素晴らしい自然を守っていくことの大切さを宮島で学べました。」
「厳島神社は、広島県の宮島にある有名な神社で、海の上に建つ大きな鳥居が特徴です。潮が満ちると、まるで海の上に神社が浮かんでいるように見え、その美しい景色に魅力を感じました。また、長い歴史があり、昔から多くの人々に大切にされていることを知りました。実際に見てみると、写真で見るよりも迫力があり、宮島の自然と神社が一体となった景色がとても印象に残りました。これからもこの美しい景色や歴史が大切に受け継がれてほしいと思いました。」
元安川灯ろう流し体験
2日目の最後に原爆ドームの前の元安川で灯ろう流しを行いました。この灯ろう流しは昭和23年頃から親族や知人を原爆で失った方々が供養のために始めたと言われています。生徒の皆さんも平和への願いを込めて灯ろうを流しました。

団員報告より
「 灯ろう流しは、亡くなった人への慰霊や平和への願いを込めて、灯ろうを川や海に流す行事です。灯ろうには、一人一人の思いや願いが込められています。実際に灯ろうが水面をゆっくり流れていく様子を見ると、過去に亡くなった方々のことを思い、平和な今が当たり前ではないのだと感じました。また、たくさんの灯ろうが一緒に流れていく姿から、多くの人が平和を願っていることも伝わってきました。私もこれから、平和について考えることを大切にし、自分にできることをしていきたいと思いました。」
「灯ろう流しは、毎年8月6日に原爆ドーム前の元安川で原爆で亡くなった人々の霊を慰め、平和を願うために行われており、戦後まもなく、原爆で命を落とした人々の遺族らが、故人のお名前を書いた手作りの灯ろうを川に流したのがはじまりと言われています。灯ろうには故人のお名前や平和へのメッセージが書かれています。元安川は色とりどりの灯ろうによって彩られていました。とてもきれいで感動したと同時に、81年前にたった1発の原子爆弾によりたくさんの命が奪われてしまったということを改めて実感し、原爆や戦争の恐ろしさを身近に感じました。子供から大人まで様々な年代の方が参加していました。実際に近づいて見てみると、一人ひとりの思いが書かれているだけでなく、平和への願いを込めた絵などが描いてありました。また、外国人の人も参加していました。原爆の恐ろしさをこのような機会を活かして、日本だけでなく、世界にも伝えていくことが大切だと思いました。」
「バスガイドさんに灯ろう流しをする川を紹介され、『ここは原爆を受けて暑さや水を欲するためにこの川に来て亡くなってしまった人たちの霊を慰め、平和を守るために灯ろうを流すんだよ』と教えてもらいました。灯ろう流し本番になると、灯ろう流しに参加する人たちが溢れかえっていました。それほど灯ろう流しは、人々に愛され広島の伝統なんだなと感じました。いざ、灯ろうを流そうと思い川に流そうとしたら、火が消えるというようなハプニングもありましたが、とうろうを流し周りを見渡してみると灯ろうが美しく光り輝いていました。うっすら原爆で亡くなった方々がほほえんでいるような気がしました。この広島の伝統が途切れることなく原爆の恐ろしさも忘れられることもなく、後世に繋いでいけたらな、と感じました。」
3日目:8月7日 平和学習の集いへの参加
3日目は平和学習の集いに参加しました。全国の自治体から参加した小・中・高校生と広島のユースピースボランティアの皆さんと被爆体験講話を聴講し、「平和を築く行動」をテーマにグループディスカッションを行いました。
平和学習の集い
団員報告より
「私たちは『平和学習の集い』に参加しました。この集いでは、7自治体111人のこどもが参加し、被爆体験証言者の内藤慎吾さんによる被爆体験講話のあと、テーマに沿ってグループディスカッションを行いました。開会式では参加団体が紹介され、開会挨拶が行われました。被爆体験証言者の内藤慎吾さんの被爆体験講話では、被爆当時の状況や被害を詳しく教えていただきました。後半はグループディスカッションを行い、他県の中学生や高校生と交流を深めました。グループディスカッションでは、地元の戦争被害を紹介したり、『平和を築く行動』について、意見を共有しました。」
「 被爆体験をお話いただいた講師の内藤慎吾さんは、6歳のとき、爆心地から1.7km離れた自宅で被爆しました。当時、両親と兄2人弟1人妹1人の7人家族で、父と長兄を残し、縁故疎開していましたが、8月5日、父の出張の前に自宅に帰り家族全員で夕食を共にしたそうです。また、ウクライナでの出来事についてテレビで報道された映像を見て、まるで当時の自分を見ているようだと感じたそうです。現在も続いている紛争や戦争をこの世からなくすためには、私達がこの問題について考えることが大切だと思いました。内藤さんは、蟹を捕まえようとしゃがんだときに大音響とともに強烈な爆風で防空壕へ吹き飛ばされたそうです。倒壊した家から弟と妹を救い出した母と、全身に熱線を浴びて大火傷を負った父とともに、吉島沖の飛行場の救護所まで避難したが、このとき弟と妹は母の腕の中で息絶えていました。内藤さんは、あまりの悲惨な状況が続き、人間としての感覚を失うほどだったとおっしゃっていました。その後次々と家族を失いました。たった一発の原爆で一瞬にして十数万人の命が奪われてしまったという出来事を深く胸に刻み、これからの平和のために様々な立場の人と話し合っていきたいと思いました。」
「私は内藤さんの講話を聞いて言葉を失いました。わずか6歳だった内藤さんが弟、妹と次々に家族全員を失ってしまったという事実に胸が締め付けられる思いがしました。戦争の恐ろしさを強く感じました。たった一発の爆弾が、幸せに夕食を囲んでいた7人家族の日常を一瞬で奪い去ってしまい、どれだけ多くの人を悲しませ、苦しめてきたのかを改めて考えさせられました。同時に、今生きていることは幸せなんだなと感じました。家族と何気なく会話して食べる食事や笑い合える毎日は、決して当たり前のことではないのだと気付かされました。内藤さんが80年近くもの間、辛い記憶と向き合いながら証言活動を続けてくださっていることに深く感謝し、私もこの体験を次の世代へ語り継いで行きたいと思います。」
「グループディスカッションでは、主に2つのことを話し合いました。1つ目は、地元の戦争被害の紹介です。私は、栃木市の戦争被害の紹介をして、他の地区の戦争被害を聞きました。その一つとして、宇都宮では、1945年7月12日から13日にかけて、爆弾を落とし、多くの人々が亡くなり、被害を受けたと聞きました。その話を聞き、戦争は広島だけでなく、自分の住んでいる県にも多くの被害が及んでいたことを知り、戦争は2度と起こしてはいけないものだと改めて実感しました。2つ目は、平和記念資料館を見たり、平和記念式典に参加したりした上で私達が日常でできる『平和を築く行動』について班の人と話し合いました。話し合いの方法は、自分たちができる行動、自分の周りの仕組み、国家・社会の仕組み、世界を平和にする仕組みの4つに分け、それぞれから連想できるキーワードを付箋に書き、その付箋を1枚の大きな紙に貼って、班の人と意見交流をしました。私達の班では、自分の行動では、いじめをしないことやメリハリをつけること、周りの仕組みでは、ゴミ拾いなどの環境についての意見が出ました。これらの意見から、日常のささいな言葉や行動が平和へとつながっていくことがわかりました。国家・社会の仕組みでは、多文化社会や平和主義、世界の仕組みでは、SDGsや世界の人々との交流といった意見が出ました。これらの意見から、今、日本や世界では、戦争、貧困、不平等といった問題を阻止するための取り組みを行っていることがわかりました。このグループディスカッションを通して、日常のちょっとした行動や自分の考えを話してみるといった行動が平和を築くということにつながっていくのだなと感じ、今後の生活に活かしていきたいなと思いました。」
「私は、今回の平和学習の集いの参加を通して、大切なことを2つ学びました。1つ目は、核兵器の恐ろしさです。実際に勉強していたことだけではなく、被爆体験講話を聞いて、核兵器は被爆者の方々全員の心と体に一生消えない傷を作り、自分の言葉では表せないほどのたくさんの怒りと苦しみと痛みを、心から深く感じました。そして、核兵器は私達が知っている以上に恐ろしく怖いものであり、たくさんの人に伝えていかなくてはならない存在なのだと改めて感じました。2つ目は、戦争の悲惨さを学んだ上で、自分たちにできる行動をしていかなければならないと思いました。グループディスカッションでは、私達が日常でできる『平和を築く行動』にはどのようなことがあるかを考えました。考えたことを元に、家族や友人、地域の人たちに伝えていき、みんなで行動していくことが平和に繋がる第一歩なのだと思いました。世界で起きていることに関心を持ち、自分にできることを考え続けていくことが一番大切なのだと思います。今回の平和学習で学んだことを周りの方々に伝えていき、自分たちが平和を創る行動を探していきたいと思います。」
「平和学習の集いへの参加を通して私たちは多くのことを学びました。特に大切にしたいと思ったことが2つあります。1つ目は、核兵器の恐ろしさについて理解を深めることです。被爆体験講話を聞いたことで、核兵器が多くの被爆者の方々の心と体に深い傷を残したことをより強く感じました。お話からは私たちが想像することのできないほどの怒りや苦しみ、痛みが伝わってきました。そして、核兵器は私たちが知っている以上に恐ろしいものであり、ただ知識として知るだけではなく、その恐ろしさについて考えることが大切なのだと感じました。2つ目は、平和について人と話し合うことです。グループディスカッションを通して、同じ『平和』という言葉でも、一人ひとりが考えていることや感じ方が違うことに気づきました。そのため、自分一人の考えだけで答えを出すのではなく、さまざまな人と意見を出し合うことが重要だと感じました。違う考えを聞くことで、新しい気づきが生まれ、自分の考えをより深めることができます。今回の学習を通して、平和については、『知る』だけでなく『考え、話し合う』ことに大きな意味があると学びました。これからも周りの人と意見を交換しながら、自分なりの平和への考えを深めていきたいと思います。」
団員報告より
「私は3日間の広島派遣を通して、改めて戦争や原爆の恐ろしさを知り、平和の尊さについてより深く考えることが出来ました。原爆が落とされた地に初めて立ち、原爆ドームや平和記念資料館を見学したことで、今まで戦争は心のどこかで今の日本を生きる私たちには関係ない遠い出来事だと思っていました。しかし今回、広島に行ったことでとても身近に感じて怖くなりました。原爆は81年前に日本に落ちて、それは紛れもない事実であってその被害の悲惨さに目を背けたくなりました。しかし、平和記念式典や灯ろう流しに参加することで、亡くなられた方への慰霊の気持ちとともに、戦争や原爆について学んだことで、より強く平和を願うことができました。そして、平和学習の集いでは、同年代の人と平和について話し合うことで、これからの私に何が出来るか、明確になりました。被爆者の方のお話は、声や表情から恐怖や深い悲しみが伝わり、胸が苦しくなりました。戦争や被爆体験を直接聞くことができる最後の世代として、記憶を風化させないために、思いを受け継ぎ歴史を語り継いでいく必要があると感じました。その思いは、広島派遣に参加する前より、一層強くなりました。これから、私たちは栃木市の平和大使として、今回の広島派遣で学んだこと、感じたことを各学校で伝えていきます。そして、私たちがひとりでも多くの人に「平和の尊さ」について伝えることで、その思いが広がり、戦争を繰り返すことがない世界となることを願っています。」
報告会について
8月29日、今回の派遣で学んだことや感じたことを班別に発表する報告会を開催しました。今後、派遣団員の皆さんには、派遣活動について、各校の学校祭などで発表し、全校生徒に広めていただくことになっています。




