市民の皆様から寄せられた「無意識の思い込み」エピソード
栃木市では、市民の皆さまから「日常の中で気づいた無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)」に関するエピソードを募集しました。
性別・年齢・立場に関わらず、誰の中にも存在する“無意識の偏り”に気づくことは、互いを尊重し合う社会への第一歩です。
寄せられたエピソードをテーマ別に紹介します。
どれも身近な場面を通して、私たちの中にある思い込みに気づかせてくれるものばかりです。
ぜひ、一つひとつを読みながら、皆さん自身のまわりにある“当たり前”を見つめ直すきっかけにしていただければ幸いです。

1 日常生活
「なぜかいつも女性だけ」 50代 女性
毎年、親戚が集まる日があります。テーブルにはたくさんの料理が並びます。
キッチンに立っているのは全て女性。
男性陣は座ったまま全く動かず食事を続け やっと座って食事を始めたばかりの女性にご飯のお代わりを注文する始末。
メニューを考えることから後片付けまで全て女性。
誰が指示したわけでもないが”当たり前のように”その役割が出来上がっていることに違和感を感じています。

「孫の子守り」 50代 女性
ある日、孫(男の子)の子守りをする事になって児童館にいきました。
おもちゃで遊んでいると小さな女の子がやってきました。孫が遊んでいるおもちゃを横から割り込み遊び始めました。孫はそこで泣き出してしまいました。そこでおばあちゃん一言、男の子なんだから泣くんじゃない!
無意識の一言でした。
「野球は男の子がやるもの?」 30代 男性
先日、小学生の娘と学童やスポーツクラブに入るか否かの話をしました。
その際、親から「ダンスにする?陸上?バスケット?サッカー?」といったなげかけをしたときに、ふと“野球がない”ということに気が付きました。
野球といえば“大谷選手”“山本選手”などの大リーグやNPBなどの男子のスポーツといったイメージが強く、無意識に“野球=男”といった思い込みがあったのかもしれません。
栃木市は全国の自治体で数少ない“女子野球タウン”に県内で唯一認定されています。女子野球大会栃木さくらカップが市内で開催されたり、市内で活動するエイジェック女子野球部が日本一になったり、國學院大學栃木高校に女子硬式野球部ができるなど、栃木市は女子野球が盛んです。世代間によって、持っているイメージは異なりますが、子どもの可能性を狭めないよう気を付けたいと思います。
「身近なところから学んだこと」 50代 女性
小学校入学を控えたある日、娘から「小学校で使う給食袋とかの生地を自分で選びたい。」と言われた。
私は、「もちろん、いいよ。一緒に選びに行こう。」と言い、お店に行った。
そこで、娘から「保育園の時の給食袋とかは、ピンクだったけれど、本当は、水色や青色が好きなんだ。だから、今度は自分で選んでいい?」と言われ、ハッとした。
「女の子はピンクや赤色が好きなんだろうな。」という無意識な思い込みで私が生地を選んでいたことに気づいた。
そして、2年後、息子は、赤色の生地を選んだ。
それまで、私は、ジェンダーバイアスがないと思っていた。
でも、ジェンダーバイアスがあったことに身近にいる子どもたちから気付かされた。
それ以降は、「自分の価値観と人の価値観が違うこと、その人にとっての大切な思いを尊重すること」を心ががけるようにしている。
数年後の進路については、娘は数学が好きだからと理系に進み、息子は英語が好きだからと、文系に進
んだ。
2 職場・仕事
「カスハラ対策から見られる無意識の思い込み」 30代
最近はカスタマーハラスメント対策のポスターをお店で見ることも多くなってきました。カスタマーハラスメントの例として店員を怒鳴りつけるお客さんのイラストが良く掲示されていますが、そこに描かれているのは男性客が多い印象を受けます。逆に長話などで長時間拘束する客として描かれているのは女性客が多く描かれている印象です。
実際の「怒鳴りつけてくるお客さん」「長話で拘束するお客さん」の数に男女の差はあまりないように感じるのですが、一般的には「男性=乱暴」「女性=話が長い」というイメージが強いのだろうか、と認識の違いを感じました。
「 若い独身者なのに土日希望休み」 30代 男性
職場に若い独身者でいつも土日希望休みを入れています。家庭がないと知って「なぜ?」と無意識に疑問に思いました。これは、「家庭を持つ人は休日が必要」という固定観念だと気づきました。自分の生活のために休日を確保する権利があります。理由の有無を問わず、多様な働き方を認めることが重要だと感じました。
「家庭内の決定権」 40代 女性
営業職に就いています。
この仕事に就いて間もない頃、ご夫婦で来店くださったお客様に、「最終決定権は男性にあるもの」と決め込んでいた自分がおります。
生まれ育った環境、世代的なものもあるとは思いますが私が子供の頃は「大きな買い物をする時、決めるのはお父さん(男性)」だったことから、自然と「家庭の大きな決め事の決定権は男性なのだ」という考えが自分に深く根付いていると気づきました。
今は大きな決め事の決定権は決して男性ばかりが持っているわけではありませんし、女性にも決定権はあります。そして、男性でも決めるのは苦手な方がいらっしゃると理解しています。
そして、家庭だけに留まらず、社会での大きな決め事は男性がして当然ということはないのだ、無意識の思い込みは無意識であるが故に強く重く根づくものだと感じました。
「父親の旧姓とは聞かないの?」 40代 男性
デジタル化の世の中、あらゆる場面でPC等の端末機器での入力がある。そして、ついて回るのがパスワード入力だ。そんなパスワード設定の際聞かれるのがパスワードを忘れた時その秘密の質問設定だ。複数の設問設定から一つ選んで答えを登録する。パスワードを忘れた時その質問に答えることで対応できる仕組みだ。例えば「出身の小学校は?」を選び「栃木〇〇小」と入力する。
さて、ここからが本題、職場のある入力システムの際、秘密の設問の項目の筆頭が「母親の旧姓は?」であった。私は気にも留めずやり過ごした。後日、同じ作業をしていた職場の先輩が私に「これは不適切な設問では?」と話しかけてきた。面倒くさいことを言う先輩だなとその時は思ってしまった。ただその件がその後、課内でもまた話題となり、やはり不適切だよなという意見が他の人からも上がった。
今の日本は夫婦同姓の制度で、多くの夫婦が夫側の姓を名乗ることに慣れすぎて、自分の感性が鈍感になっていたのかなと反省した。
3 家庭・子育て
「“仕方ない”を手放したら伝わった」 40代 女性
夫婦ともにフルタイム勤務なのに、家事も育児もほとんど私が担当。夫は「仕事が忙しい」を理由にしていて、年収差もあり、私はどこかで“仕方ない”と諦めていました。でもある日、自分で抱え込みすぎて限界になったとき、勇気を出して素直な気持ちを伝えたら、夫は意外なほど真剣に聞いてくれました。思い込みで壁を作っていたのは自分だったと気づきました。それからは夫が役割分担をしてくれるようになり、家の中が前よりずっと穏やかになりました。

「結婚とは」 70代 女性
昔(40年前)勤めていた時、呼び止められて、「今、仲間と賭けをしていて、〇〇さんは結婚はしていないか、いるか、どっちなの?」
会社の中で、駆けずり回って頑張っている私が独身に見えたみたいです。「ごめんなさい、子どもがいますよ。」の返事は、「ええ…!!」でした。
「 稼ぐ夫・家庭の妻」 40代 女性
結婚当初は「夫は仕事、私は家事と育児」という役割が当たり前だと思っていました。でも、実際には家のことは終わりがなく、ふと「私も働いているのに、どうして“家庭は女性の仕事”と思い込んでいたんだろう」と気づきました。ある日忙しくて料理をお願いしたら、夫なりに工夫して作ってくれて、子どもが「パパの料理好き」と一言。その瞬間、肩の力が抜けました。役割を手放すことで、家の中の空気が軽くなりました。家事の分担を少しずつ見直すきっかけになりました。

「 女だからこそ」 60代 男性
職場で同僚とお互いの子育てについて、話していた時のことです。お互いが、それぞれ男の子と女の子の一人ずつ、計二人の子育てをしており、子どもらの進学や就職などについて話が盛り上がっていました。最後に同僚は、「女の子は愛想が良くて、みんなに好かれれば、大学や就職先にこだわらなくてもいいよね。どうせお嫁に行っちゃうから」と締めくくったのです。
「男の子だから大学に進学、女の子は嫁ぐから進学は必要ない」との考え方に私は違和感を覚えましたが、地方では未だに根強い慣習のところも残っており、とりあえずその場は反論をせず軽いあいづちで聞き流しました。
この世の中、男女平等と謳っていても、女性には何かと不利なことが多い社会です。
今の世界情勢を見ても先行き明るい未来が待っているとは限りません。
職業柄、今までたくさんの親や子どもをとりまく家庭環境を見てきたからこそ、親として、特に女性である娘には、自分らしい生き方ができるように自立の必須条件として、資格の取得を目標にしてきました。おかげ様で、娘は大学を卒業し、国家資格を得て、現在一人暮らしで、自分らしく、そしてたくましく働いています。
本当は、「女性だからこそ」というような考え方の必要のない社会が、理想の男女共同参画社会だと思いますし、そんな社会が早く根付いていってほしいと深く感じました。




